ストーリー

20話

協力できたら

「セル、いないのか」
 ルルくんの言葉に、ジャスミンが申し訳なさそうに頷いた。
「はい、すみません。私が扉を叩いた夕方には、もう」
「ジャスミンが謝ることじゃないさ」
 ルルくんの発言はもっともだ。ジャスミンはセルの保護者や血を分けた存在じゃない。目的が同じで、部屋が隣。それだけだ。謝る程のことはない。
「それで、あなたはなぜセルの部屋に?用事があったんですか」
 ボクたちは、セルやジャスミンの住む建物の八階にいる。四つの文字が並んだ、セルの部屋の前にいる。
 月が昇ってから、まだそんなに時間は経っていない。寝ているような時間じゃないはずだ。それなのに、セルの部屋の扉を叩いても反応がなかった。
 セルを呼びながら扉を叩いていたら、隣の部屋からジャスミンがでてきて、彼はいないのだと教えてくれたのだ。
「ご飯の約束をしていました。元気がないようだったので、何か力になれればと思ったのですが」
「部屋を訪れても、反応がないんですか」
 ジャスミンが頷いた。
 心配かけて気を遣わせたのにいなくなるとは。どこに行ったんだ、あいつ。
「元気がない、の見当はつきますか。一緒にいた時に何かあったとか」
 いつもみたいに道に迷っているだけならそれでもいい。後で小言をいって、終わりだ。
 でもそうじゃないなら、エンゲージをして経験値を貯めたいやつについていってしまったとか、家出なら、行く場所の見当がつかない。
「はい。昨日のお昼に、不思議な方と会いました。『誰かにもう一度会いたい』という願いを持った方で、セルくんを見て消えてしまったんです」
「願いって、ハテナをおこしてたんですか」
 ジャスミンが神妙そうに頷く。
「セルくんはその方を、とても気にしている様子でした。その後、街の人の願いを叶えている『あくの』という方々にお会いしました。彼らと別れてから、話しかけても上の空で」
 あくのなんて変な名前にきき覚えはないけど、その人たち、心当たりあるぞ。
「願いを叶えるって、もしかして、三人組ですか」
「はい。ストックちゃんもお会いした方がいるかと。丁寧な喋り方の」
「サリネですね」
 ジャスミンが何度も頷く。ちょっと驚いてるみたいだ。彼女にしてみれば、ボクとサリネはただすれ違っただけの存在で、名前が出てくるなんて思わなかったんだろう。
 そうだ、ボクはセルだけじゃない。ジャスミンにも用事がある。
「ちょうどいいので、今いいます。ジャスミン、サリネがあなたに会いたがっています。謝りたいことがあるとかで。セルがいなくなったことと関係はありそうですか」
 ジャスミンが考えこむように俯いたり、視線を上に向けたりしている。返ってくる返事が、その動作からわかる。
「いえ、何も。すみません」
 申し訳なさそうに頭を下げているけど、これはそもそも、謝られる内容の見当がついてないんじゃないか。
「サリネに何かいわれたとか、ないんですか。彼女じゃなくても、彼女と一緒にいた人に何かいわれたとか、されたとか」
 いよいよ深刻に考え始めたジャスミンが、小さく声をあげた。見当がついたみたいだ。
「私、願いをハテナで叶えることを、非難したんです。そのことか、それ以外なら彼女と一緒にいる方が、セルくんにいったことでしょうか」
 一呼吸おいて、ジャスミンが、特別な言葉を口にするように、いった。
「セルくんは、自分のライバルだって」
 予想外に、子どもっぽい言葉だった。思わず、周囲を見渡したけど、廊下にはボクたち三人以外の影はない。誰になんと思われても構わないけど、近くに他の誰かがいる気がした。見張られていて、ボクたちの会話を誰かと伝えあっているんじゃないかとさえ思った。
 クリアが目の前で消えたからか、ボクは周囲の気配に敏感になっているみたいだ。大丈夫だ、影がなければ人はいない。ボクたち以外、誰もいない。ジャスミンの言葉に呆れた表情を作って、笑いかける。
「ライバル、なんですかそれは」
「競い合う相手のことだよ」
「そういうことをきいているんじゃないんです、ボクは」
 黙って話をきいていたルルくんがした、見当違いな説明をあしらう。
「その方は、ハテナを起こしている自分たちを止めてみろといっていました」
 暴言ではないし、サリネが謝りたい内容も、セルが出て行った理由もよくわからない。ただ、
「自分のすることを止めて欲しいんですか。変な人ですね」
 これは、サリネとジャスミンを会わせたらサリネが説明してくれそうだけど、彼女には別の日に、といってしまった。彼女がどこに住んでいるかもわからない。今会うことはできない。
「ジャスミン、明日、ボクと時計塔の下にいてもらえませんか。サリネを待ちたいんですが」
「もちろんです。サリネさんとお話ししたら、何かわかるかも知れませんね」
 ジャスミンの言葉に、感謝の意味を込めて頷く。あとはセルを見つけておかないと。やつが見つからないままジャスミンを連れ出すのは、セルを心配している彼女に忍びない。セルにはクリアについて、きかないといけないこともある。放置しておくのはボクも本意じゃないし。
 サリネには会う日を決めてからジャスミンの家に押しかけようといってしまったけど、早いに越したことはないだろう。明日、他の二人がサリネと行動を共にしていないことを期待するしかない。
「ハテナを起こしているというのは、白衣のおにいさんで間違いないですか」
「はい、サリネさんは、彼がいるからできることだといっていたので」
 最初見た時もそうじゃないかと思ったけど、ハテナを起こせるなんて、間違いないと思う。
 白衣のおにいさんは、超人だ。
 そういえば、サリネと一緒にいたおにいさんのことを何も知らないことに気づいた。最初は白衣のおにいさんに興味があったのに、全然近づけていないじゃないか。
「ジャスミン、そのおにいさんと、もう一人の名前もわかりますか」
「はい。ライさんと、アースさんです」
「アース?」
 気休めばかりの質問だったけど、ルルくんが心当たりがありそうに声を出した。
「もしかして、大きな黒いコートを羽織っていたりするかな」
「はい。そのアースさんだと思います」
 これは間違いない、知り合いなんだ。話の接点がなさそうだったルルくんにつながったのは意外だけど、なにかわかるなら何でもいい。
「知り合いですか、ルルくん。どこで会いました」
「病院さ。リアの友達で、頻繁に顔を出してくれているよ」
 彼女の友人って、間違いなく変なやつじゃないか。
 リアの名前がでて、思わず渋い顔をしたらしい。ジャスミンがボクを見てから、申し訳なさそうに小さく手を挙げた。
「リアさんとは、どなたですか」
「おれの姉だよ。ずっと病院にいるんだ」
 いつも通りの淡々とした返答に、ジャスミンが息をのんだ。まずい質問をしたと思ったらしい。一転して明るい口調で、ルルくんに尋ねる。
「それは、寂しいでしょうね。お会いしにいっても構いませんか」
「本当に?うれしいな、彼女も喜ぶよ」
 ルルくんは、本当に嬉しそうだった。見ればわかる。毎日病院に会いにいって、彼女を喜ばせることに必死なんだ。相手から会いにいきたいなんていわれたら、そりゃあ嬉しいだろう。
 でも、ボクにはそれが、面白くない。
「リアに会いにいく算段は二人きりで、どうぞ。ボクはセルを探してくるので」
 ジャスミンに、あくのについてもう少し情報が出ないか質問しておこうと思っていたし、セルのいる場所に見当をつけてから、探しにいくはずだった。
 なのに一時の感情に流されて、ボクは無計画なまま、エレベーターに向かう。
「さみしいことをいうね、ストック。おれもいくよ」
 後ろからルルくんの声が聞こえて、扉を開けたり閉めたりする音がきこえた。ジャスミンが、部屋の戸締りでもしているんだろう。
「ストックちゃん、私も探します。一緒に行きましょう」
 ボクは馬鹿だ。相手にして欲しくてそっぽを向いたみたいで、子どもみたいだ。
 後ろから持つよ、とか、大丈夫です、とか、会話する声がきこえてくるのをぼんやりきいていたら、気づいた。
 この状況。ボク達三人には、共通点がある。仲間はずれはいない。
「今、ここ、超人が三人、いるじゃないですか」
 腹を立てて話を中断するんじゃなく、しっかりお互いの事情を伝えあえば、超人のことが、自分のことが、もっとわかるんじゃないか。
 今まではボクとルルくんしかいなかった。お互いのことを話してみたけど、違うところが多すぎて、超人の生態とか、何が人間と違うかとか、よくはわかってないままだ。
 変な力はある。ハテナも見える。でも、あとは全然違う。
 ジャスミンにいろいろきいたら、二対一になるか、三人ともバラバラになるか、とりあえず、今よりはわかるはずだ。
 ボクがさっきの話題を台無しにしてしまったけど、セルが見つかるまで、別行動をとる理由はない、さっき二人はボクと一緒にいるっていったんだ。
 振り返ったら、不思議そうに首を傾げたジャスミンと、四角い何かが入った袋を持っているルルくんが目に入った。
「さんにん、ですか?」
 そういえば彼女にはボクが超人だとはいったけど、ルルくんも同じだとはいっていない。ルルくんはジャスミンが首を傾げた意味がわかっていないらしく、目を瞬かせている。
 話すの、長くなりそうだな。
 さっきまでセルをさっさと見つけてしまいたかったのに、今はまだ見つからないようになんて、願ってしまっている。


 ゴクリと、誰かが喉を鳴らす音がきこえた。
 みんなが、緊張した面持ちでレトを見ている。
 レトは部屋の中を隅々まで見渡し、真剣な顔で振り返った。
「どっちだと思う」
 全員がスードルを見た。お前が返事をしてくれと、目がいっている。
「……だめ、ですか?」
「逆だ。こんなに綺麗になるとは思わなかった。オレの負けだ」
 レトの言葉に、子ども達が嬉しそうに声を上げる。
「じゃあ!寝る時間遅らせてもいい?」
「もちろんだ。そういう約束だからな」
 はしゃぎながら、両隣にいる子たちでハイタッチをしている。
 そういう姿を見るのが、あたしはとてもうれしい。
 レトがここに置いてくれといった時、いつ出ていっても彼が申し訳なく思わないように気を遣った。助かるとか、うれしいとかはいわないようにしたけど、いらない気遣いだったかもしれない。
 仲間意識を持たせる簡単な方法があるといってレトが実践したのは、彼自身が悪者役になることだった。
 ルールを決めて、破った子には厳しく叱る。そのルールを緩くするための『勝負事』を決めて、子どもたちが勝ったらルールは緩くなる。今日は部屋の掃除でレトを驚かせるほど綺麗にできたら、遊ぶ時間をのばす『勝負』だった。
 明確な敵に全員で挑むことで連帯感が生まれるんだと、レトはいっていた。
 レトは勝負事にはちょっぴりムキになるところがある。嘘も嫌いだし、情けで合格を出したりはしない。中には本気でレトを嫌っている子もいるけど、年齢が上の子になるほど、彼が本当は悪いやつではないのだと、気づいているみたいだ。
「じゃあ、おにいちゃんもあそんでー!」
 レトが一つのグループに連れていかれるのを、手を振って見送った。
 彼のおかげでこの場所は変わり始めているけど、レトは木の外に出るために経験値を貯めないといけないのに。そっちはまだ、全然だ。
「ラズラおねえちゃんも、あそぼ!」
 紙とペンを持った子が数人、駆け寄ってくる。
「ごめんね。あたし、下におにいちゃん待たせてるから、まだ一緒に遊べないわ」
 みんなには悪いけど、椅子に座らせておいた彼が気になる。もうご飯は食べ終わったかな。
「いつおわる?」
「はっきりはわからないかな。でも、一緒には寝れると思うから」
「ほんと?やくそくね」
「うん。約束」
 手を握って、軽く上下に振る。約束した子を見送ってから、部屋の扉を閉めて廊下を進み、近づいていることに気づかせるべく、わざと音を立てて階段を降りた。
 彼は、ちゃんといた。いなくなっていなかった。
 晩御飯の残りなんてなかったからパンを買ってきて食べるように勧めたけど、まだ手をつけてはいない。買ってきたときから一個も減っていなかった。隣に置いた水は空になっているけど。
「セル、お腹すいてないの」
「食べなくていいんだ。俺は」
「それは、お腹は空いてるけど食べる元気はない、ってことかしら」
 セルが無言で、周囲を見渡した。図星みたいだ。そうだよって、いっているようなものよ、その動作は。
「……あんなに家族がいるとは、思わなかったぞ」
 買い物の帰り道、一人で歩いているセルを見つけた。この前会った時はキョロキョロしながら、町になれない人らしさ全開で歩いていたのに、今日は下ばっかり見て歩いていた。
 だから、つい、荷物を持って欲しいと頼んで連れてきてしまった。
「ごめん、驚いたよね。荷物、ありがとね。パンはお礼なんだから、食べていいのよ」
 セルは、疲れているように見える。生気がないというか。時計塔の下で待ち合わせた時とは、別人みたいだ。
 何か不安なことがあるんだって、顔に書いてある。
「ちょっと、おしゃべりに付き合ってもらってもいいかしら」
「しゃべる相手なんて、いくらでもいるだろう。あんなに人がいるんだから」
 セルは多分、何かに落ち込んでいる。でも自分から悩みをポンポン喋りだすタイプじゃない。あたしの方が悩み相談の体で話をきいてもらって、話し出しやすい空気を作らないと。
「いるわよ。いるけど、あの子たちじゃだめなのよ。毎日顔を合わせる相手よりたまに会うあなたの方が、話しやすいこともあるんだから」
 レトならどうするかしら。あたしは彼みたいに正直者じゃないから、小賢しい方法しか思い浮かばないけど。
「セルには兄弟って、いた?」
 質問をされた彼は、目の前にあるパンと空になったグラスを眺めていたけど、観念したように口を開いた。
「木の外に。血の繋がってない兄が何人かいた」
 話が早い。
「ここと同じね。セルから見て、お兄さんってどんな感じだった」
 セルが、怪訝そうな、納得いかないといいたげな表情をして、言葉を詰まらせた。
「おしゃべりというより、尋問じゃないか、これは」
「そう感じる?ごめんなさい。みんなから見てあたしってどんな感じなのかなって、気になってるのよ」
「なら俺にきいても無駄だ。俺は兄が日課を終えて玄関をまたいでも、あいつらみたいに嬉しそうに出迎えたことはない」
 本人の不満そうな表情と発言を合わせて考えると、セルのいた場所はこことは違う様子だったらしい。さっぱりした間柄って相手を気遣って本音がいえないよりはいいと思うし、憧れるけど。
「それって遠慮とかしてないってことじゃない。いい関係ね」
 セルは不機嫌そうな声で唸って、頬杖をついた。そんなんじゃないと、小声でつぶやく。身内を褒められるのに慣れてないのか、居心地悪そうに、そっぽを向いてしまった。
 いや、違う。質問が悪かった自覚はある。誰だって急に身内との関係の悩みなんて話されたら、居心地悪いだろうに。
 失敗したなあ。こういうグイグイ押しちゃう態度を続けたから、ルルもアトレイもあの人もあの子も皆、出ていっちゃったのに。
 だめだ。本気で悩み相談しちゃいそう。本来の目的に戻らないと。
「ありがと。あたしもそうなれるように頑張らなきゃね。セルは、悩みとかないの」
「お前の一方的なおしゃべりだと、思っていたんだが」
 勤めて明るく問いかけたら、あっさり拒絶された。
「こたえにくい話題回しちゃったなって。あたし、あなたに迷惑かけたんだから、あなたも迷惑かけてくれていいのよ」
「迷惑かけていい、か」
 セルが、あたしに顔を向けたけど、あたしの向こうの、別の誰かを見た。
 こういう目をあたしは知っているし、多分している。
「ひとつだけ応えてほしい。ハテナを起こすことについて、どう思う」
 悩んでるのはハテナのことか。ハテナを起こしちゃったことがあるとか、今起こしているとかかな。あたしにも視えたら、わかりやすいんだけど。
「ハテナの内容によるかな。他人に迷惑がかからなかったり、本人がそれに満足してるなら、あたしはハテナが起きたままでもいいと思うわ。ただ、あたしにも気づけるハテナにそんな害のないものはないから、反対してるってことにしてるけどね」
 セルの目が、軽く開いた。
「そんなものなのか。はっきり肯定したり否定したりしなくても、いいのか」
 関心をもった語調の返答から、なんとなく悩みの内容がわかってしまった。
 ジャスミンはハテナのあるなしがわかるから、何かあったら止めに入る。けど、そんなに消滅させなくてもいいんじゃないと思ってしまったとか、ジャスミンにはそんな質問できないとか。多分、そんな感じだ。
「よくわからないものだし、あたしたちには視えたりもしないんだから、白黒つけることはないって思ってる。例外って、何にでもあるしね」
「例外、なるほど」
 セルは神妙な様子で何度も頷いた。なんとなく声に力が戻ってきた気がする。元気になったのかな。
「後は自分で考える。助かった」
 セルは立ち上がって、玄関に向かっていく。
「帰るの、もしかしていそいでた?」
「飯の約束をしていた。こんな時間まで外にいる気はなかったから」
 いってから、バツの悪そうな表情をした。あたしを責めている言い方になったと思ったらしい。
「町になれなくて、よく迷うんだ。ただ、早く帰らないと」
「なら、お詫びにそのパン、分けあってよ。晩御飯と一緒に食べて。それと、近くまで道案内するわ」
 え、ととまどったような声が上がった。予想外の返答だったらしい。
「いや、そこまでは」
「ここに来たのはじめてじゃない。荷物を持ってもらってたから周り見て歩く余裕もなかっただろうし、日も暮れてるし。はやく戻らないと、でしょ」
 セルは、目をそらして足踏みをした。悩んでいたいけど、時間がないといいたげにあたしを横目で見て、向き直ってくれた。
「感謝する。それに、パンが好きだと前にいっていたから、喜んでくれるはずだ」
 それに、といいながらパンに目線を移したから、袋ごと置いたままになっていたパンを渡すと、お礼の言葉をいわれた。
 彼がパンの入った袋を持って扉を開けたところで、扉の向こう側から歩いてきている人がこちらを見た。セルは慌てた様子で彼らに近づいていく。
 ルルとジャスミンとストックだった。セルが食事の約束をしていた相手は、あの三人のうちの誰かなんだろうな。
 あたしも謝らないと。セル自身が荷物運びをしていたなんて説明しても、説得力がないだろうし。
 セルが何事かいいながらパンを差し出している相手はジャスミンだから、約束をしていたのは彼女だろう。
「セルが約束してたのって、ジャスミンかな?」
 駆け寄って、確認のために尋ねると、彼女は驚いた様子で頷いた。
「ごめんなさい。買い込みすぎて困ってたら、セルを見つけたから、運ぶの手伝ってもらっちゃった」
「いえ、大丈夫です。何事もなく済んで、よかったです。セルくんも、ラズラも」
 ジャスミンが柔らかく微笑む。約束をしていたのに今外を出歩いているということは、セルのことをいなくなったと思ったのかも。本当に、申し訳ないことをした。セルに予定が空いてるかきいてから連れて来ればよかった。
「ルルとストックも、迷惑かけたみたいで、ごめんね」
「謝らないでよ、ラズラ。迷惑してないし」
「すれ違っていないかきくつもりだったんですが、本人がいたなら手間が省けました」
 ストックの表情は、言葉とは裏腹にちょっと不機嫌そうだ。その顔に心当たりはないけど。
 彼女はあたしの視線に気づいたのか、顔の前で軽く手を振って、にやりと笑ってセルを見る。
「セルも、迷子かと思って心配しちゃいました」
「してないだろ、その顔は。というか、なんでお前たちもいるんだ」
 そういえばセルがご飯の約束をしていたのはジャスミンだけのようなのに、なんで二人も一緒にいるんだろう。セルを探しているジャスミンにたまたま会うにしては、夜遅い。森の中に戻らないと、街の中で一泊することになるだろうに。
 ストックがルルを小突いて、話すように促している。
「セルにききたいことがあってさ」
 ルルはもったいぶった態度で指を一本立てた。
「きみの名前って、セルヴァル…」
「待て。それ以上は待て!」
 セルの表情が変わった。ルルをひっつかんであたしたちから距離をとったところまで足早に歩いていくと、小声で何か話している。
「なるほど、さすがだ。きみは配慮の天才だね」
 セルが小声で話しているのに対して、ルルはあたしたちにきこえるような声で、セルを褒め称えた。
「私、きかない方がいい話ですか?」
 ジャスミンが申し訳なさそうに眉を下げて、ストックに尋ねる。
「そんな内容では、ないと思いますが」
 ストックもセルの行動を不可解そうに見ているのを見て、さっきのルルの言葉を思い返す。
「ストック、セルにききたいことって、名前の話?」
「ええ、はい」
「そっか。二人は木の外にいたことってある?」
 二人とも首を振った。同時に、ストックがあたしの後ろを覗き込むようにしたから、振り返る。
「ラズラ、何かあったのか」
 レトだった。セルが大声を出したことに気づいたからか、様子を見にきたらしい。
 ちょうどいい。
「いいえ、大丈夫よ。ところで、レトは名前をきかれたら、なんて答える?」
 レトはあたしを睨みつけた。彼は意味のわからないことをいう相手をああいう目で見ると知っている。結論から話さないと、不機嫌になる。
「何の話だ。レトと答えるが」
「そうよね。でも本名は、別にあるでしょ」
 彼はますます目つきを鋭くした。
「ああ。今ここで、いえばいいのか。何が目的だ」
「例よ、例。いわなくて大丈夫。木の外では、長い名前がある人も名前を省略して、あだ名で呼ぶのよ。本当の名前をいう時は、特別な時だけ。木の外にはゼロって危険な生き物がいるの。彼らに会わないようにしていて、今みたいに出歩くことなんてないわ。決まった人にしか会わないから、呼びやすいようにあだ名をつけられるし、名乗る方も反応しやすいように、いつも呼ばれているあだ名を名乗るの」
「では、セルくんもあだ名なんですね。初めて知りました」
 後半はジャスミンとストックに向けていう。感心した様子で小さく頷くジャスミンと、納得いってなさそうに眉を寄せるストック。
「それは知っています、一応は。そうではなくて、なぜセルがボクたちを避けたのかがわからないんです」
「ジャスミンがいるからだろう」
 レトの発言に、ジャスミンが表情を曇らせた。
「私、ですか」
「そうだ。前に名前がないといい出し辛そうにしていたから、名前の話題を避けたいんじゃないか」
 部分的なところだけ聞いて経緯を把握したらしいレトの言葉に、ジャスミンの碧い目が、大きく見開いた。
 ストックがルルと一緒に帰ってきたセルに近づいて、尋ねる。
「そうなんですか。ご飯の約束はすっぽかしたのに」
「何の話だ」
 本当に何のことかわかっていないであろうセルの言葉に、ストックは忘れてくださいといってそっぽを向いた。
「ストック、あってるってさ。でも、何で知ってるかはわからないって」
「そうですか、では、一旦保留にしましょう。明日はあくのの方を調べないとですね」
 セルの他に探している何かがあるらしい二人は、周囲にはわからない会話をした後に、セルとジャスミンを見た。
「セル、明日ボクはジャスミンと一緒にサリネと会ってくるので、ルルくんとハテナを起こしている人を探してくれませんか」
「なんのために」
「あなたのためにもなると思いますが。ライバルなんでしょう」
 セルが途端に苦いものが口に入ったような、不満そうな表情をした。
「あれは、勝手に」
「あくのの中にハテナを誘発できる人がいるんでしょう。超人かもしれませんよ。あなた、なんのためにジャスミンのそばにいるかお忘れですか」
「待って」
 セルがいい淀んだところで、口を挟む。みんながあたしを一斉に見た。
「差し支えなければ、説明できるところからでいいから教えて欲しいんだけど。あたしもレトも、話についていけないわ」
「もちろんだよ、きみが望むなら」
 ルルの快諾の言葉に、なぜかレトとストックが眉を寄せた。


 事の経緯を説明してもらう間、あたしたちは一階の机を取り囲んで座った。あたしがセルを家に招いていた間ジャスミンは何も食べていなかったというから、セルに渡したパンを渡して二人でわけてもらっている。
 クリアというヘルメットを被った男の子がセルのことを知っていそうだということと、あくのという三人組が、ハテナを出現させているということ。彼らの中に超人がいるかもしれないから、ハテナを起こしている人を見つけて彼らと接触していたなら情報を得たい、らしい。
 話をきいていたセルは手に持っていた一口サイズのパンを口の中に放り込んで、腕を組んだ。
「サリネと会う約束をしているなら、なぜ俺とこいつでハテナを起こしているやつを探しに行く必要がある」
「手がかりは多いに越したことはないでしょう。明日サリネに会えるかはわからないのに彼女を待つだけなんて、効率が悪い。ボク達四人いるんですよ」
「四人じゃないわ。六人よ」
 思わず口を挟んだら、疑わしいものを見る目で見つめられた。
「あなた、ここの子どもの面倒見てますよね。あの人とやらは帰ってきたんですか」
 いうことが手厳しい。彼女の隣に座っているルルが両手を合わせて謝罪してくるから、軽く手を振って、ストックに向き直った。
 はっきり不満をいってくれた方が助かるから大丈夫、なんていったら彼はどう思うだろう。
「まだ。でも、出かけるついでに変なことが起こってないかは見れるし、レトはハテナ探しに連れて行ってもらって大丈夫。だから、六人よ」
「どういうことだ、ラズラ」
 今度はレトが立ち上がって、睨みつけてくる。多分、彼はあたしがここから追い出そうとしていると思っている。そんなに薄情だと思われてるのかと思うと、少し寂しい。
「みんなのハテナ探し、手伝おうよ。あなたはここから出るために経験値を貯めなきゃいけないのに、面倒見てくれて感謝してる。だからこそあなたのしたいこと、我慢して欲しくないわ」
「オレに約束したことを放り出せっていいたいのか」
 頭固いな、なんとなくいい返されることはわかってたけど。
「放り出せなんていわないし、これからもお世話になりたいから、経験値集めとみんなの面倒見るのを両立して欲しいっていってるの。ハテナをエンゲージで解決したら、経験値が溜まるから」
「なるほど、彼は外に出たいんですね」
 ストックが頷きながら、横目でルルとセルを見て、視線をあたしに向け直した。
「レトを借りれるなら、正直ありがたいですよ。ルルくんとセルでは、エンゲージになった時に心もとない。人は多いほうがいいです」
 どちらかといえばレトに留守番してもらって、ラズラが二人についていった方がありがたいのですが。と小声で付け足されると、レトがストックを睨みつけた。
「オレが弱いっていいたいのか」
「エンゲージしてるのを見たことないので、知りませんけど。知らないからこそ、ラズラの方が頼りになるかなと思っただけです」
 ストックの言葉は、レトの闘争心に火をつけたらしい。流れる空気が鋭さをもって、部屋を満たしていく。
 ストックとレトが睨み合った。ストックが意地悪そうな、勝ち誇ったような笑みを浮かべると、レトが思い切り机を叩いた。その音でジャスミンが肩を震わせ、机の上に置いていたグラスを手に持つ。
「すまない」
 物にあたったことに気づいたからか、食事を邪魔したことに対してか謝罪して、叩いてしまった机を軽く撫でる。
「いえ、私こそ、すみません」
 何に対してか謝るジャスミンを見て席を立ったルルが、横から机を眺めた。
「年季ものだね、寿命だよ」
 つまり、ひびが入ったのね。
「寿命ならしょうがないわ」
 あたしたちのやりとりを黙ってきいていたレトが目を閉じて軽く首をふり、大きく息を吐いた。冷静になろうとしている。
「その見解、後悔させてやる。こいつらについていって、経験値とやらをためるからな」
 ストックを睨んではいるものの、さっきより落ち着いた口調だった。
「そうですか。期待しない程度に、楽しみにしておきます」
 二人はしばし睨み合った後、ストックが玄関へ姿を消した。
 再び息を吐いたレトが、かがんで横から机の状態を確認した後、立ち上がった。
「ラズラ、すまない。修繕する」
「いいのよ、寿命だもん」
 ルルの寿命という表現はあながち間違ってない。あたしがここに来た時よりも前から、ずっと使っている机なんだから。みんなが遊びで乗ったりしたら、ミシミシいってたし。
「いや、簡易になるが、修繕する。このままだと危ないからな。糊はあるか」
「二階の戸棚にあるけど、どうするの」
「木屑と混ぜて亀裂に流し込む。今よりはましになる」
 軽く説明して二階に上がっていくレトを見送ったルルが、ゆっくりと様子をうかがうように、あたしの前までやってきた。
「ラズラ、きみが手伝ってくれるなんて嬉しいよ」
「とはいえ、そんなにできることもないんだけどね」
 ストックの前では自信満々にこたえたけど、実質あたしは戦力外だ。待ってるだけ。
 ルルは首をふった。
「きみが待っていてくれると思えるだけで、充分力になるさ」
 嘘くさい言い方だけど、彼は本気でいっている。そんなに遠くもない昔を思い出して、懐かしくなって笑みを溢した。
「ストックのこと、わるかったね。ここに来るまでに機嫌を損ねてしまって。彼女もレトも、もちろんきみも、わるくないんだ」
「そうね、誰かが悪いとは思ってないわ。ありがとね」
 ストックを迎えに行ってあげてといったらルルは頷いて、彼女の名前を呼びながら出て行った。
 あたしとジャスミンとセルが、部屋に残った。
 ルルにはああいったけど、誰かがあの空気を作って、そいつが悪いというなら、やっぱりあたしだ。
 ストックが不機嫌だったとかは問題じゃない。レトを追い立てるようにしてしまったせいで、部屋の空気が気まずくなってしまった。彼の性格はわかってるつもりだったけど、気持ち良く協力する流れにはできなかった。ルルがギスギスした空気に気づいたんだから、相当だ。
 レトが外に出る経験値を集めるためにもちょうどいいと思ったけど、また余計なこといってしまった。
 周りを見たら、二人とも疲れを滲ませた顔色をしている。ジャスミンはグラスの水をあおり、セルは真面目そうな顔をして天井を見つめていた。
 彼に至っては帰ろうとしていた時の元気が失せている。明日のことを想像して、憂鬱になっているのかもしれない。
「ラズラ、頑張って手がかりを探して、戻ってきますね」
 落ち込みかけた矢先のジャスミンの言葉にちょっぴり元気をもらって、笑顔を作って頷き返した。
「うん、よろしくね」

すすむ

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2012.08.15- Meijitsu Minori.