ストーリー

15話

はじめての来客

 周囲が焼かれているような、ジリジリした暑さ。まとわりつく熱気。
 体が重い。暑い。
 そう、季節は夏。俺が十七歳になって数ヶ月が経っていた。
 十七になろうが何歳になろうが、俺が家で最も年下であるという事実は変わらず、ただ歳を重ねるだけ。
 どのみち、柵の向こうにはでてはいけない。何も変わらなかった。
 あの日、十七歳になったあの日は、身内に囲まれて食卓の椅子の特等席に座っていた。隣のやつと手が当たらない、あの席だ。ゲームで偉い奴が座ってるような、左右に椅子がない場所。
 いつもなら飯の準備ができるまでゲームをしていると怒られるものだが、誕生日は例外だ。むしろなかなか出て行かないことに感謝されているはずだ。俺が兄を祝うときには、理由をつけて食卓にこないようにしているのだから、俺の誕生日は皆楽をしているだろう。感謝してほしい。
 豪勢な料理を俺の前に並べた親父はこういった。
「どうだ、おどろいたか」と。
 この言葉をきくたびに思うのだ。毎年同じように祝われて、さらに兄貴も同じように祝っているのに、なにを驚くことがあるのだ、と。
 本気で毎年期待していたのなんて、年が一桁のころまでだった。いつからか、うまいものが食えるだけで、普段と何も変わらない一日になっていた。
 
 
「驚くことなんてないだろ」
 寝起きの自分の声に驚いて、俺は目を開いた。いや、実際には寝起きではなかった。あれは寝言だ。
 寝ていたのに、自分の言葉で目がさめるのか。はじめてだ。
 疲れているわけではない。しかしなぜか動かすのが億劫になる重い体を、ゆっくりと起こす。
 暑い。短い時間に、何度この言葉が頭の中を通り過ぎたか。夢の中でさえ、この熱から逃れることができなかった。白っぽい壁の向こうから、真夏の熱気が俺の城に侵攻している。防ぐ手はない。
 夢の中で俺は誕生日を迎えていたが、この熱気のせいで現実に引き戻されてしまったようだ。まだなにも食べていなかったというのに。
 時計に目をやると、時刻は朝の十時。
 寝すぎだろう、これは。何時に寝ても起きても誰に文句をいわれるわけではないが、なんとなく罪悪感を感じる。
 今日はなにをしよう。
 俺以外だれもいない静けさの中、考える。まるで夢の中にいるみたいな、嘘のような静けさ。さっき見ていた夢のせいか、別の俺がどこかで目を覚ましたら、俺が消えてしまう気にさえなる。俺が目を覚ましたことで、夢の中の俺が消えたように。
 別の俺は目を覚まし、夢の中で木の中に入ったと奴らに告げて、笑われる。
 思わず、ため息をついた。なんで妄想でまであいつらに会わなきゃいけないんだ。夢の中に出てくるだけでも迷惑しているのに。
 気分を変えよう。そう、今日はなにをするかを、考えよう。ヘルメット男を探すのが定石だろう。ジャスミンを誘う口実としては適切だし、彼女を喜ばせてやりたい。
 あの男を見つけて、話をきいて、ジャスミンが喜ぶことは間違いないが、同時に彼女と会うきっかけがなくなることでもある。それはわかっている。それでも、彼女の隣にいて、並んで歩くだけの日々が続けばいい、なんて考えているわけにはいかない。
 俺はそれでよくても、ジャスミンには先がある。ヘルメット男を見つけた先に、彼女の見た景色があるのなら、彼女をそこまで連れて行ってやりたい。

『あなたはまだいいんだ。すきな子のそばにいられるなんて、幸せですからね』

 意図を聞きそびれたストックの言葉が頭の中に浮かび、点滅する。
 そう、あいつの言う通りだ。ジャスミンには知りたいことがある。探したい人がいる。俺はその手伝いがしたい。
 手伝いが、したい。

 本当に、そうだろうか。
 思えば今まで、目標を持って何かに取り組んだことがあっただろうか。せいぜいゲームくらいだ。
 どうせあの家から出られないと思っていた。
 夢なんて、持っても荷物になるだけだった。

『どうして、一緒に探してくださるの』

 あのお姫様に言われた言葉だ。
 深く考えずにうやむやにしてしまったが、きちんと返答を考えていたら、俺はなんと答えていただろう。

「セル、いるんだろ」
 思考の海に沈もうとしたところで、小さく俺を呼ぶ声がした。
 タイミングが悪い。どこから声がした。答えはわかっている、玄関からだ。
 立ち上がり、廊下を歩いてゆっくりと玄関に近づく。扉のノブを握ったところで、手を止めた。
「なんだ」
「やあ、ひさしぶり。ルルだよ」
 声の雰囲気からそれはわかっていた。問題なのは相手が誰かじゃない。なぜこいつが俺の城の玄関に立っているか、だ。
 ついでに付け足すならば、ひさしぶりじゃあ、ない。
「ジャスミン以外はここが俺の住居だと知らないはずだが」
「クリアくんの手がかりを掴むための種まきさ。開けて欲しいな」
「セルくん、おはようございます」
 答えになっていない。こんな返事ならば開けたくはないが、ルル以外にも人がいるらしい。そしてその声の主を、俺は誠実な態度でもてなしたい。そんな相手だ。
 ドアノブをひねって、扉を開ける。
「おはよう」
 いるのはジャスミンとルルだけだと思っていたが、違った。扉の向こうにいたのは、大きめの箱を抱えたルルと、ちいさな袋を持ったジャスミン、それから見慣れない青年だった。目に生気がなく、不気味な印象を受ける。
「おはようございます。朝早くから、すみません」
 ジャスミンが頭を下げてくる。寝起きだとバレてしまった。気を使われている。これはまずい。そしてクールな言い訳が思いつかない。
「いや、気にしないでくれ。ちょうど暇を持て余していた」
 ごまかし程度に愛想笑いをしたが、今まで愛想をもって人に接したことがなかった。いい笑顔だったかは考えないでおこう。
「その、見慣れない顔がいるようだが」
 間に困って、見知らぬ青年で話題をそらす。ルルがそうだろうと頷いて、青年に手のひらを向けた。
「彼はアトレイ。この町のことに詳しくてね」
 俺に向かってそういった後、アトレイとやらに視線を移した。
「セルっていうんだ。最近木の中に入ってきたばっかり」
 ルルの紹介をうけて、ふうん、と疑わしげな表情で俺を値踏みしてきたアトレイが、二、三度頷いている。
 何を納得しているんだ、こいつ。
「よし、セル。よろしくな」
 俺の方も睨もうとしたところで、親しみやすげに右手を差し出してきた。慌ててその手をつかむ。
「よろしく」
 疑問は残ったが、せっかく来た客人を立ち話だけして追い立てるのも気がひける。三人を城に招き入れて、入り口の扉を閉めた。


俺が招かれた時のパターンは、こうだ。
建物に入るように促され、客室に通してもらい、座っているようにいわれる。ほどなくして食べ物を持った家主が現れ、飲み物、食べ物をどうぞ、といわれる。
この経験に習って、俺はジャスミンたちを居間に座らせて、一人台所に立っていた。そして、気づいた。
食器を買いこそすれ、食物を備蓄していない。
まずい。なんて状況だ。クールか否かなんて考えるまでもない。
なんでなにもないんだ。昨日俺は何を食べて寝たんだっけ。思い出せない。ちがう、何も食べていないんだ。飲まず食わずで寝たからあんな夢を見たというのか。
 なんていえばいい。なにもなかった、ごめん!なんていえるわけがない。
 全身が冷えていく。手から力が抜ける。馬鹿馬鹿しいが、大問題だ。頭の中を何かかが走り回っているように、酷く頭が痛む。走って何か買ってくるにしても、居間は通らなければ外に出られない。
 まずい。
「セルくん。大丈夫ですか」
 急に名前を呼ばれて、心臓が跳ね上がった。いつの間にか隣にジャスミンとルルが立っていたことに、気づく。
「なんで、ここに」
 思わぬ醜態を見られた。冷えていた体温が、急激に上がっていくのを感じる。これからどんな面で会えばいい。どんな態度でヘルメット男の話をすればいい。
「よかったら、どうぞ」
 予想を裏切った言葉とともに、ジャスミンは、さっきまでルルが抱えていた箱を差し出してきた。思わぬ展開に箱と彼女とを交互に見やると、笑みをくれる。
「木の中にきたばかりで、部屋に押しかけたら困るだろうなと」
 蓄えを用意していないことは木の中初心者にはあることなのか。この失敗は俺だけじゃないのか。
 普通のことなのか。
「ほんとうに」
 もらっていいのか、という言葉ははばかられた。情けない。
「はい、ぜひ。使っていただけるとうれしいです」
 箱を受け取り、上蓋をはずす。箱の中にまた、小さな容器が敷き詰められていて、紅茶やコーヒーの束なのだとわかる。
 俺はコーヒーが苦手だ。ストレートにいうならば、嫌いだ。
 しかしそんな好みの話はどうでもいい。ジャスミンがくれたものだ。考えて選んで、持ってきてくれたものだ。
 自然と口角がつり上がりそうになるのを、抑える。
「ありがとう。正直困っていた。大切につかわせてもらう」
 突き放した言い方になっていなかったか不安になって、ジャスミンの表情をうかがう。彼女がよくする、処世術のような微笑みではなく、にっこりと嬉しそうに表情を崩している。
 やはりこの女の子は、人の役に立てるのがうれしいのだろう。変わっていると思うが、悪いとは思わない。
 ジャスミンのうれしそうな顔をみると、さっきまでの焦りやら、正体不明の不安が、消えていくような気がした。
「今、使っても構わないか」
 葉ではなく液体状のコーヒーやらが入っていた。日持ちはしない。今使えということで間違いないだろうという確信をもって、尋ねる。
「はい」
 いつもより幾分力強い口調で、彼女は頷いた。まぶしい。
 頷き返して、新品のカップをとりだす。
 儀式めいた動作でカップを手に取り、ボトルの中で液体になっている紅茶を注ごうと手を動かす。
「セルくん」
 ジャスミンに優しく声をかけられて、おもわず儀式を中断する。
「なんだ」
 振り返って彼女の碧い目を視界に入れようとしたら、目の前にルルが立っていた。
 そういえば、こいつがいたことを忘れていた。
「はい。おれからも、引っ越し祝い」
 どこかで見たようなクッキーを渡された。どこで見たのか思い出そうとしていたら、ジャスミンにも渡しているのが視界の端に映る。
 俺の分もジャスミンに渡したい。そんなに嬉しそうに受け取ってくれるのなら。
 そんなよこしまな気持ちを、俺は蹴飛ばした。
 人からもらったものだ。他人に渡すものじゃあないだろう。
「祝いなら、ありがたくもらっておこう」
 素直にお礼をいうのは格好がつかないからと、ひったくるようにして袋に入ったクッキーを受け取る。そして、思い出した。
 ラズラと時計塔で待ち合わせた時にもらったものと、同じ袋だ。
 人気な店なのだろうか。名前の雰囲気くらい記憶しておいてもいいだろう。
 そう思って眺めた店の名前は、あまりに独創的な書体で書かれていて、読めなかった。
 読める字で書いて欲しい。切実に、そう思う。


「ヘルメットの男を知らないか、だと」
 なんとか客人に出すものを見繕った。居間に戻って素知らぬ顔で紅茶を並べていると、アトレイの不機嫌そうな声が耳に入る。
「俺は人探しなんてしねえよ。便利屋じゃない」
「そういわずに。払うもん払えば探してくれるだろ」
 種まきといって連れてきたのに、今から交渉するのか。このまま決裂したら、どうなるのだろう。
 うまく交渉できていない様子を見て、ジャスミンが不安げに表情を曇らせた。
「ルルくん。アトレイさんが嫌だというのなら、無理に頼まなくても」
「いや、大丈夫。なんとかするから」
 ジャスミンは、自分の探し人のことでアトレイを困らせることを嫌がっているように見える。そんな彼女の雰囲気を察した、のかはわからないが、ルルがポケットから何かのケースを取り出した。
 白いケースだった。片手で握ったら手のなかに収まるか収まらないか、という大きさのケースを開き、手際良く一枚のカードを取り出す。
 アトレイが、カードを見て素早くまばたきをした。目の色が、はっきりと変わったのがわかる。
「レア!まちがいなくね。これと交換はどう?」
 先ほどまで面倒くさそうに頼みを断っていたアトレイの目が、一枚のシールに引き寄せられている。
 目を離したらもう見ることはできないと思っているような、あからさまな対応の変化が引っかかる。
 そもそもシールって、他人に渡したらいけないものだって、いっていなかったか。
「なんでお前がそんなもん、もってんだよ」
 睨むような目つきでルルを見るが、彼は動じることなく、淡白に説明をした。
「リアにもらった」
 再びシールの譲渡発言がでてきた。もうついていけない。
「ちょっと待て。確認したいことがあるんだが」
 三人が一斉に俺を見る。
 空気も重くないし、恐れることはない。自分の手を強く握って、ゆっくり解いた。
 大丈夫だ。わからないことはきいていい、はずだ。
「ルル、お前リンクしたシールは手放すなって、いっていなかったか」
「いったね」
「ならそれはなんだ」
 ルルが、なるほどとつぶやく。
 そうだ、俺はそのシールのことを知らないんだよ。
「これはトイミューズをだすシールじゃないんだ。トイミューズを補佐する効果があるシールで、人とリンクすることはない」
「シールによって効果がちがって、中にはとても珍しい、レアと呼ばれるシールがあります。エンゲージで使う以外にも、様々な理由からレアなシールを集めている方がいます。そういう方は、コレクターと呼ばれるんです」
 なんとなく説明めいた言い回しで、ジャスミンが後に続けた。
 いまルルがだしたシールは、ゲームでいう魔法をアイテム化したようなもので、レアリティが高いやつに至っては、収集するやつがいる、ということか。
 それで、ジャスミンが遠慮がちにみているアトレイは…
「コレクター?」
「そうだけど、なに」
 思わず指をさして尋ねると、だからどうしたと言いたげな、不機嫌そうな返事が返ってきた。
 こいつ、たぶんゲームをしたら図鑑とかコンプリートするタイプだな。
「リンクできるシールはIDシールって名前があるんだ。みんな、シールとしか呼ばないけどね」
「なるほど、よくわかった」
 わざとらしく頷いて、もう口は挟まないことをアピールする。目の前に置いたカップを口に運んでみると、苦かった。コーヒーとはちがう、舌に染み込むような、独特の苦さ。
 砂糖は、ここにはない。苦いという気持ちを表情にださないように意識しながら、一気に飲み干した。
 やりきった、大人になった気分だ。
「わかった、ヘルメットの男のこと、調べてやる」
 ため息をついて観念したという仕草をしたアトレイが、ルルに手のひらを差し出す。
「だから、さっさとよこせ」
「普段、提供料は後払いだよね。クリアくんの居場所を教えてくれるまで渡さないよ」
「ちゃっかりしやがって」
 半眼になってルルを一瞥した後、アトレイが立ち上がった。
「まあいいや、わかったことがあったら、あんたらにも声かけるから」
 あんたら、というところで、俺とジャスミンを順にみる。
「アトレイさん、ありがとうございます」
 ジャスミンに深々と頭をさげられ、アトレイが怪訝そうな顔をした。その態度をみて、ジャスミンが慌てた様子で立ち上がる。
「すみません」
 いや、謝るところじゃないだろ。
 そうは思うが、ジャスミン本人も、何に対して誤っているのかわかっていないようだ。ただ相手が不審な表情をしたから、なにかしてしまったと思っている。そんな感じだ。
 アトレイが、大きく息を吐いた。バツが悪そうにジャスミンから目をそらし、頭を掻く。
「なんで謝んの。俺に頼って礼をいうやつって、覚えがないなと思っただけだけど」
 やはり、ジャスミンの勘違いだ。彼女の頬が赤く染まる。
「そうなんですね。すみません。私は、てっきり」
 声が弱くなって、聞き取りづらくなっていく。変な勘違いをしたと耳まで赤くしたジャスミンの背中は、心なしかいつもより小さい。
「ルル、ヘルメット男、だっけ。詳しいことはお前からきくわ」
 アトレイが、ジャスミンから視線を外した。
「うん。ということでセル、ごちそうさま」
 いつの間にか紅茶を飲み終わっていたルルが、立ち上がる。
「ジャスミン、また今度ね」
 ルルとアトレイが、俺の城を出て行った。ジャスミンと俺だけが、残った。
 どうやったらジャスミンを喜ばせてあげられるだろうか。
 些細な失敗は恥ずかしい。さっき体験したばかりだ。他の人が当たり前にできている分、うまくいかなかった時の自分が惨めに思える。彼女は今そんなそんな心境なのではと、思う。
 この、消えそうな小さな背中を支える、方法は。
「ジャスミン」
 不安そうな、真っ青な二つの瞳が、俺をみた。
「さっきはありがとう、本当に、助かった。本当だ」
「それは、ありがとうございます。お役に立てたのなら、嬉しいです」
 彼女は小さく微笑んだ。くどい言い方をしたのは失敗だったかもしれないと思ったが、もう後には引けない。
「それで、今日みたいなことで焦らないように、いろいろ買い溜めておきたいんだが、まだ町になれないんだ。案内してもらえないか」
「はい。あの、でも」
 煮え切らない返答に、失敗だったかと不安になる。
「この紅茶、うまい。すごくすきだ。帰りに店を教えて欲しい」
 思い切り、力強く、空になったカップを指差す。
「いや、ありがとうございます。お供します。そうではなくて」
 立ったままのジャスミンが、カップを手に持った。
「片付けてから、いきませんか」

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2012.08.15- Meijitsu Minori.