ストーリー
「ライがリアちゃんのお兄ちゃん?」
アースが確かめるようにいうと、ライはしっかり頷く。
「そういうことですね」
「ちょっと、ちょっとライ」
ライを引っ張って、部屋の外に出る。アースがリアに話しかけている声をききながら、扉を閉じた。
急に引っ張り出して、怒ってるかもしれない。ライの顔色を伺ってみたけど、いつも通りの笑みを浮かべている。
「なんですか」
彼は平然とそんなことをいう。
なんですか、じゃない。
「なんの冗談ですの」
兄妹だなんておかしい。ライが歩くと女の人が近寄ってくるけど、彼本人が特別に距離を縮めようとすることは今までなかった。
なのに、あんな冗談。
「冗談ではありません。いたって真面目な、本当の話ですよ」
「あの子と兄妹だって、そんなの変ですわ。だってあなた」
ゴミ捨て場にいたじゃありませんの、ひとりで。
「おれが、なんですか」
怒っているようには見えない。でも何をいおうとしたかはバレていると思う。代わりの言葉を探そうとしたけど、うまく言葉がでなかった。
「ライは、わたしがみつけたもん」
言い返す言葉がなくてむくれたら、彼の手が頭にふれた。
「そうですね。おぼえていますよ」
おぼえてない。これは絶対におぼえてない。おぼえていたとしても、彼はそれ自体になんの関心もないみたいな言い方だ。
「おぼえていますが、彼女と家族なのも本当です。長い時間をかけてできてしまった彼女との溝を埋めなければ。では」
頭にもう一度ふれて、ライは病室に入っていった。
ライがリアに何か声をかけて、彼女が嬉しそうに返事をする声がきこえた。
扉は開いているけど、入る気にはなれなかった。
病院を出ようとして背を向ける。
「ねえ」
声をかけられて振り返ると、声の主はリアだった。
「わたし、リアっていうの。あのね、一緒に…」
はにかんだように笑って、そんな言葉を口にした。
一緒に、何をするっていうんだろう。
「ごめんなさい」
頭を下げて、逃げるように廊下を歩く。アースもライもあの部屋の中だけど、わたしはあそこには入れない。
廊下を歩いて、階段を降りて、受付を越えて扉を開ける。
病院から、外に出てしまった。
いく場所もなくて、一人で街を歩いた。
照りつける太陽の熱さが、町の熱気が、わたしに疎外感を植え付ける。
わたしはこれからどうなるんだろう。あくのは三人組だけど、わたしじゃなきゃいけないなんていわれたことはないし、アースもライも、彼女を気に入っている。
わたしがアースにいうのは小言ばかりだし、ライには迷惑をかけて心配させたり、困らせるばかり。
どう考えてもこの後の流れは決まってる。彼女をあくのに入れよう、なんて言い出して、それから、それから…
「どうされたんですか」
声をかけられて、足元ばかり見ていた顔をあげる。視界がぼんやりしているけど、ジャスミンさんが声をかけてくれたらしい。セルと買い物の途中らしく、紙袋を抱えている彼の輪郭を捉える。
「何かあったんですか」
「どうして、何かあったと思うんですの」
確かにはぐれちゃったと泣きついたことはある。あるけど、いつも誰かと一緒にいるなんていったことはないし、一人で歩くなんて、一般的には普通なことのはずだ。
「泣いているみたいなので」
「な、泣いてますか」
目をこすったら、ぼんやりしていた視界がはっきりした。わたしが泣きながら歩いていたら声をかけてくれるんだ、この人。わたしはこの人に嘘をついたのに。
「お話、聞かせてもらえないでしょうか」
ジャスミンさんは、彼女自身のためにそんな質問をしているわけではないと思う。ただ、知り合いが泣いているから声をかけてくれている。
わたしなら、多分そんなことはしないと思う。
病院にいる女の子に、わたしの居場所が取られちゃいそう。
そんな悩み、しょうもなさすぎる。わたしが一方的な気持ちであくのにいるからこんなことになるわけで、アースがわたしを頼ってくれていたらこんなことにはなっていないはずだから。
「リアってやつのことか」
セルが事情通みたいなことをいうから、驚いて顔を上げる。彼は居心地が悪そうにそっぽを向いた。
「昨日、いや一昨日か。ジャスミンとストックと話したんだろ。路地裏で手を振ったのはお前だって、二人からきいた」
「ああ…その節はごめんなさい」
なんだかどうしようもないものを見るような目で見られてしまった。そこまで怒っているとは思っていなかった。
逃げたほうがいい、これは。
「大丈夫ですから。アースを説得すればいいだけなので。おしゃべりしたらすっきりしました」
ありがとう、と付け加える。行った言葉に意味を持たせるためににっこり笑って手を振った後、来た道を歩き始める。買い物の途中なのだから無理に追いかけてくることもないはず。
アースを説得する。それができたらどんなに楽だろう。
途中で角の道を曲がり、人気のない路地に座る。
太陽の光が建物に遮られて、わたしに射すこともなくなった。
「やあ」
声がした方に視線をやると、ヘルメットをかぶった人が立っていた。顔が見えない。
「探したよ。なんて」
ひょうきんなことをいうと、わたしの隣に並んで、同じように座る。
わたしはこの人を知らない。なのに、わざわざ隣に座ったということは…。
「アース?」
白い髪が生えた変なヘルメットをかぶってからかってくれているなら、納得できる。
「ぼくはアースじゃない。クリア」
違った。知らない人だ。パパとママが雇った人かもしれない。わたしのことを探してるのかも。
「どうして、わたくしのことを探したんですの」
立ち上がって距離をとろうとすると、同じように立ち上がってついてくる。
何を言われるのか、何をされるのか見当がつかなくて、距離を保とうとして後ろに下がる。
立ち上がったあと、彼は必要以上に近づいてこなかった。
「どうしてついてくるの」
「きみに話があるからついていっているんだ」
クリアはわたしと一定の距離を保っている。保っているのはわたしだけど。
「今のままじゃよくない」
「…パパとママのこと?」
パパとママが雇った人なら、なんとかして家に戻そうとするはず。今までは嫌だったけどあくのに居場所がないなら、帰る場所はあそこしかない。
「ちがう。リアのことさ」
リアの友だちか。廊下でわたしとリアのやり取りをみていて追いかけてきたのか。
「リアと知り合いなの?」
「知り合いじゃない。今はまだ」
よくわからない。友だちじゃないのに、リアがかわいそうだからおせっかいをやいているなんて、甘やかしすぎ。
「知り合いじゃないのに、どうして今の状態をよくないっていうんです」
「ぼくはどちらでもいい。今の状態をよくないと思ってどうにかしたいのはぼくじゃない。リアだ」
嘘だ。彼女がそんなことを望んでいるはずない。
「あの子は友だちが増えて嬉しいはずです。今以上にいい状態があるわけない」
クリアは無機質に、でもしっかりと首を振った。
「リアはきみとも友だちになりたいんだ」
クリアが保っていた距離から、一歩踏み込んでくる。
「どうしてリアの話を聞いてあげなかったの」
表情の見えない顔が、わたしをみている。
「リアはきみからアースとライを奪ったんじゃない。きみがそう思っているだけだ」
嘘だ。
アースはあんな風に人にこだわらないし、ライに妹なんていないはずだった。
わたしが一方的に二人にこだわっているのはわかっているけど、淡々と客観視されると悲しくなってくる。
「だって、あくのは三人組だもん。わたしよりリアの方が大事だったら、メンバー交代だもん!」
クリアが手を伸ばせば届く距離まできている。でも、近づいただけで、無理に掴まれることはなかった。
「話した方がいい、アースと。そうすればわかることだ」
「話せばわかることはわかってる!でもわかった時には遅いかもしれない」
そっか。じゃあリアちゃんと交代する?
そんなことをいうに決まってる。アースがあんなに人に執着するなんて珍しいんだ。今までなかったんだ。
「…話したら、わたしはあくのにいらないっていわれる」
想像した言葉に涙が出てくる。心臓がぎゅっと小さくなって苦しい。
うつむいていたら、両肩に手が置かれた。
「ライを見つけたのは誰なのか、忘れているのは、きみの方じゃないか」
「…え」
なんでそんなことを知っているの。
顔を上げた時、肩に触れていた人の熱はなくなっていた。
クリアは、いなくなっていた。
逃げたはずなのに、戻ってきてしまった。
病院は逃げ出した時と変わりない様子で、受付の人も7階のカウンターの人も淡白に仕事をしている。
リアの部屋の扉は閉まっていた。
このまま立ち去ることはできる。さっきみたいに。
でも、誰の知り合いでもないはずの人間にあそこまでいわれて、曖昧なままにしたくない。
静かに扉を叩いて、返事を待つ。
「どうぞ」
さっきアースが扉を叩いた時と同じ声色の、女の子の声がした。
ゆっくり扉を開けて、手だけを部屋に入れる。
「アース、アース」
部屋の中にいるアースを呼び出して、扉を開けたままにして距離をとった。
「どうしたんだよ」
素直に出てきてくれたアースを引っ張って、人通りのない階段まで移動する。
「リアのことなんですけど」
「ああ、わかってるって」
質問をするより先に、とんでもなく不吉な言葉が出てきて体が硬直する。
「サリネは初対面の相手が苦手だもんな。リアちゃんにはそれとなくいっといたから」
「そ、それとなくって、どんな風に」
大丈夫!あいつのポジション空くから。とか?
「あいつは人見知りだから、最初はツーンとしてるけどすぐ慣れる、って」
「…慣れる?空くじゃなくて?」
アースが不思議そうな顔をする。
「あくって、何があくんだよ。飽きる?飽く?」
空ける、を飽きると勘違いしたまま、アースは喋り続ける。
「リアちゃんと距離をとるのに飽きるって?サリネ、気まぐれで人と距離取ってたのかよ…」
「違います!そうじゃなくて、あくのは三人組なのに、リアと仲良くなったら…って」
アースはますます不思議そうな顔をした。首をひねり、腕を組んで考え込む。
「…もしかして、四人になることを気にしてる?多いとダメなの?」
「違う!そうじゃなくて、リアが入ったらわたしはいらなくなるから」
大声を出したからか、アースが慌ててわたしの口をふさぐ。
私たちがいる階段を看護師さんが覗きにきて、ため息をついた。
「大声出しちゃった。リアちゃんに見せる寸劇の練習」
にっこり笑って言い訳をするアースをみて、看護師さんは眉を釣り上げた。
「はあ、うるさくしないように。迷惑なので。あと、そういうのは病院の外でしてください」
明らかに苛立った様子で、看護師さんが戻っていく。アースは曖昧に笑って彼女を見送った後、口から手をどけた。
「リアちゃんが入るって、そもそも、勧誘してないけど」
「…え?」
思わず看護師さんが去っていった方に視線を向けたが、案の定誰もいない。
「リアちゃんは病院から出られないんだから、ハッピーにしたいだけだぜ。仲間にしたいわけじゃないんだけど」
「でもライは」
「兄妹だって?兄妹なら会うのは普通じゃん。リアちゃんはあくのじゃないけど、会いに来るのはいいだろ。オレが友だちに会うのもフツーじゃん」
友だち?じゃあ、もともと誘うつもりはなかったの?
頭に疑問符をだしていると、おもむろに手を掴まれた。
「あくのの誓いは三人でしたんだから、これからも三人組だって。オレとライとサリネで、あくのなの」
手を掴んだまま廊下を歩いていく。
「ちょっと、人が見てるから」
「このオレと手を繋ぐのが不満か」
「そうじゃなくて、これじゃあわたくしがこどもみたいじゃありませんの!」
カウンターの人が、廊下で談笑をする人が、廊下を歩く人が、わたしとアースを見ている。当たり前だ。病院の廊下を、小さい子でもないのに手を繋いで歩いてるんだから。
「まあまあ、お姫様なんだからエスコートされなって」
「こんな乱暴なの、エスコートじゃありませんわ」
じゃあ、といって、彼はわたしの手を離した。リアの部屋の前で足を止める。
「お先にどうぞ。お姫様」
「と、当然です」
ノックをして、返事が返ってきたことを確認してから扉を開ける。
リアとライがこちらを見た。ライがにこやかに笑う。
「サリネ、おかえりなさい」
「た、ただいま」
ライの好意に感謝しつつ、そろそろとリアに近づく。
アースと話はした。クリアの言葉を確かめるなら、リアと話さなきゃ。
「えっと、さっきはごめんなさい」
「いや、わたしもごめんね。嬉しくってつい」
「嬉しい?」
そいえば最初に部屋に入った時、とても嬉しそうだった。そわそわしてわたしとライをみていた。
わたしはあんなに拒絶したのに、気づかなかったのか。アースの言葉を信じて、わたしが照れているだけかと思ってくれたのか。
「そう!あのね、わたしあなたと友だちになりたいの」
どうして、という言葉を飲み込む。
ずっと病院にいる子が、外の話をきいて嬉しそうにする女の子が、友だちが欲しいのは当たり前だ。
この子は病院の外に憧れているんだから。
リアはわたしからアースをとったわけじゃなくて、ライをとったわけでもなくて、友だちになっただけなんだ。
「わ、わたしも…」
ストックちゃんは、なんていってたか思い出す。でもあれはあの子の言葉だから、そのままいうのは違う気がする。
「わたくしも、あなたと友だちになりたくて、だから」
ストックちゃんはわたしと話をしてくれた。少し話をしただけだけど、なんとなく距離が縮まった気がした。
「一緒におしゃべりしてもいいでしょうか」
リアの目が大きく見開かれる。
「うん!あのね、アースくんからきいたんだけど、あくのって活動をしてるんだよね」
アースからきいた話をして、わたしがリアクションしやすいような話題をふってくる。
そうなんです、と頷くと、ライが座っていた椅子を譲ってくれた。
「おれ、アースと話があるので、席を外しますね。おいいくぞ」
「リアちゃん、あとでね〜」
ライの言葉に返事をすることはなく、リアにだけ愛想をまいたアースとライが出て行った。扉が閉まってから少し気まずくなってリアを見ると、扉に向かって手を振っていた彼女はにっこり笑った。
ぎこちなく笑い返すと、友だちって感じがして、嬉しかった。
そういえば、クリアはどうしてリアのことを気にかけていたんだろう。アースとライのことも知っていたし、わたしの悩みも知っているみたいだった。
「それでね…」
リアの言葉に意識が戻される。
今は、クリアのことは忘れよう。
もっと、リアと仲良くなりたいから。
「おいアース、気づいてるか」
部屋を出たライは、周りに人がいるのもおかまいなしに、いつもの態度でいう。
「リアちゃんの部屋を誰か見てるって?」
「そうだ。お前が執拗にリアの病室に行ったことと、関係あるか」
階段に向かいながら返事を考える。
正直リアちゃんに会いたいだけだったんだけど、そんなに頭働く奴に思われてたなんて、意外。
サリネもなんか慌ててたし、二人のリアクションを見るに異常な様子だったらしい。そんなに変な態度をとったつもりはなかったのに。
いつも通り、やりたいようにしただけなんだけどなあ。
「いや、リアちゃんに会いたいなと思って」
返事を考えはしたけど、嘘偽りなく答える。
「なら、いつ気づいた」
「いつかはわかんないけど、窓の外から視線を感じる時があるんだよな」
そっか、そういったきり黙り込んでしまった。
「見つけて捕まえんの」
「もちろんだ。かわいい妹の部屋を覗いてるなんて、どんな不届き者か見届けてやる」
かわいい妹、ライの口からそんな言葉が出るとは思わなくて視線を向ける。
それは怒りというより、何かを企んでいるような、計算通りにことを運ぼうと思案している時の顔だった。
ライ。それは多分、優しいお兄ちゃんの顔じゃないぞ。
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