ストーリー

8話

ハテナを消そう

 あのあと、寝る間を惜しんでジャスミンに謝るための計画を練ったが、何一ついい案は浮かばなかった。最後にはひたすら謝るときの台詞を考え、呟き続けるというみっともないことになってしまった。
頭がぼーっとする。夜遅くまで起きていることはあれど、丸一日寝ないのは初めてだった。
木の外ではゲームしかすることがなかったんだから当然だ。時間を惜しむことになるなんて考えもしなかった。
 時刻は朝の六時。ルルやストックに借りた部屋の角に設置された椅子に座り、時には眠気をごまかすために立ったまま作戦を考えていた。ベッドに入ったら最後、寝るのは間違いないと思ったから、寝床は見ないようにしている。二日間まともに寝ていないことと、今までの生活とは異なる状況にいるせいか、体が重く感じられた。腹の奥の方でもやもやした何かが渦巻いているように感じる。寝ていないせいか。それとも、ジャスミンと顔を合わせることへの気まずさからか。
 ルルやストックのいないところにジャスミンを連れ出し、頭を下げるのが最も誠意のある対応なのではないか、と考えた所から具体的な流れについてまでは計画できていない。とにかく、ルルとストックの前で謝るのはごめんだ。ジャスミンの記憶に残ってもこの際しょうがないが、あいつらの前で謝罪なんかした日には後で笑いの材料にされかねない。
 少しでも頭をすっきりさせたくて、窓の外に視線を向けた。太陽の光を浴びれば目が覚めるだろうと。
 だが、ここで今の状況の不自然さに気づいてしまった。
 外が暗いままだ。昨日の夜、厳密に言えば四時頃にルルに声をかけた時と変わらないまま、太陽は昇っていない。夏の六時といえば鳥が鳴き、太陽が眩しく、遠くを見れば世界が揺らいでいるような、そんな時間のはずだ。
 なぜ今まで気づかなかったのだ。ジャスミンへの謝罪のことで頭がいっぱいだといっても、周囲の明るさくらい気付くものだろう。
 他の奴らは起きているのだろうか。寝たのが遅かったから、まだ寝ていて、この状態に気づいていなくても不思議ではない。それでも最初に通された部屋にだれかいはしないかと期待して、部屋の扉を開けて廊下を歩いた。
 それほど長くない廊下を歩く途中で起きている人がいると確信した。コーヒーの匂いがする。昨日の夜に俺を苦しめたあのコーヒーだ。もし扉の向こうにいるのがジャスミンだったらどう話せばいいのだろう。二人が起きていないのであれば、今ここで謝罪するべきだ。
 謝ろう。そのほうが体にいい気がするし、ある意味理想的な状況であると思う。謝った後に外の様子の話題を振ればいいのだから、自然に話をするきっかけになるかもしれない。
 扉を開ける前に、大きく深呼吸をする。大丈夫だ、謝るんだ。
 ドアノブに手をかけて、ゆっくりと回す。扉を開いた。
「やあ、ひさしぶり。はやいね」
 肩透かしをくらった。部屋の中にいたのはルルとストックだ。予想していたのとは真逆の状況に思わず眉が釣り上がる。
 というか、ひさしぶりじゃない。数時間前に会っただろう。
「おはようございます。変な顔をしていないで、座ってください」
「変な顔はしてないだろ」
 部屋の扉を閉めて横長の椅子に腰掛けながら、言われっぱなしは癪なので言い返す。そういえばストックはジャスミンと一緒に寝たはずなのだが、なぜこいつだけ起きてしまったのか。逆がよかった。いや、ルルとジャスミンが二人でいるのもだめだ。
 ルルが俺とストックの前にコーヒーを注いだマグカップを置いてから、自分のマグカップにコーヒーを注いでは飲んでを儀式のように繰り返している。昨日はミルクなどの配慮をしていた気がするが、俺が昨晩使わなかったからかそれらが置かれることはなかった。
 コーヒーを飲み続けるためにせかせか動いているがどことなく眠たげに感じられた。俺がシャワー室から出た時の印象に近い。こいつも夜寝ていないのだろうか。
「あれのことを変っていうんじゃないのか」
 ストックにコーヒーを飲み続けるルルを指差して言う。それは否定しませんと返された。
 面白みのないやつだ。最初二人の様子をみたときは仲が悪いと思ったが、森から帰ったときには仲がよさそうに感じられた。しかし今はこれである。二人の関係がよくわからない。
「ルルくん。目が覚めたならやめてください、ボクが恥ずかしい」
 コーヒーを飲むと目が覚めると信じているらしいルルが親指と人差し指で円を作ってストックに向けた後、マグカップにコーヒーを注ぐのをやめて台所に向かった。しばらくして皮が剥かれた果物をのせた皿を俺の前に置く。
「朝飯がわりにどうぞ。ほかになにもなくって」
 そうか、わるいなといいながら適当に掴んで口に放り込んだ。梨だった。噛むと口の中に水分が溢れる。
 隣ではストックがコーヒーを飲み干し、梨を頬張っていた。出されておいていうのもなんだが、コーヒーとこれは合わないだろう。
 昨日から残り物、だとか、なにもないとかいう食事事情を垣間見ている気がする。蓄えのない時期に訪れてしまって申し訳なくなる。
 横長の椅子に俺とストックで座ってしまったため、ルルは高さの違う椅子を俺たちの近くにひっぱってきた。梨を食べて一息ついている。
「二人は太陽が昇っていないことに気づいているのか」
 なんだかつくろぎはじめているルルを見て、話を進めなければと思った。もしかしたら気づいていないのかもしれないし。しかしストックに、あれに気づかないほうがおかしいです、とひややかな目を向けられた。一応非常事態ということで間違いないらしい。たぶんハテナというやつだ。一人くつろいでいる者がいるからそんな気はしないのだが。
 もし俺が最初に木の中に入ってきた翌日にこうなっていたら、木の中は昼夜がないんだなあと思っていたところだろう。
「セル、もしかして元に戻したいんですか」
 仮定の想像を続ける俺を見つめていたストックが、意外だ、と言わんばかりに目を丸くしていった。
「当たり前だ。こんなのおかしいだろ。普通じゃないし」
 ジャスミンもハテナを消すために見ず知らずのウェンディを追いかけていたんだ。ウェンディも困っていたし、元ある形に戻すべきだと思う。一生夜のままなんてきみが悪い。
「あなたがハテナをおこしたって自覚、ないんですか」
 俺がハテナをおこした?
 首の下あたりから体が冷えていくように感じる。心臓の音が早くなる。手の先が痺れたように動かなくなる。
 ストックやルル、マグカップ、周りにあるものの輪郭がぼやけて、夢の中にいるような感覚に襲われた。
「その様子だと無自覚らしいですね」
 俺の表情を見て察したらしいストックが、ため息をついたのがきこえた。声もどこか遠くに感じられる。
 ハテナってそんな簡単に起きるものなのか。いや、そんなことより俺は何を望んで太陽を昇らなくしてしまったのだ。さっき夜のままだときみが悪いと思ったばかりではないか。
「木の中には人の願いを叶える月が昇っているんだ。夜に願ったことは、本人が望んでいるいないに関わらず叶ってしまうことがある」
 ルルの声だ。いや、それは知っている、と返したかったが、知らぬ間にとんでもないことをしてしまった衝撃から、うまく言葉がでなかった。
「そんなに落ち込むことでもないんだけど。でも、おれにもストックにも、きみが今回のハテナの持ち主だって視えてるんだし」
 ジャスミン以外にもハテナが視えるんだな、とぼんやり思う。そいえばラズラがそんなことをいっていた気がする。確か、超人がハテナを見ることができるといって、ここにきたのだったか。
「きみが元に戻したいなら協力したいんだ。好きでこうなったんじゃないんならね。ハテナを戻すにはエンゲージをして持ち主を倒すか、悩み事を解決したらいいんだから」
悩み事の解決。ウェンディのときは自力で家に帰れなくなっていて、願いの元だった兄も家にいて解決できそうになかったからエンゲージをしたというのだろうか。だが今回の俺の場合は悩み事さえどうにかすればいいらしい。ラズラやジャスミンが話していたときは、トイミューズでエンゲージをするしか方法がないようなことをいっていたような。気のせいだったか。
 そこまで考えて、気づいた。悩みというのは…。
「ボク、ジャスミンが死んだように寝息をたてるだけで寝相も打たないので、ルルくんに相談しようとしてたところなんですよ。あなたを見た時にわかりました。発生源が」
 やっぱりだ、間違いない。ジャスミンも俺の願望にまきこんでしまった。しかし発生源とは、なんだか嫌な言い回しをされた気がする。
 認めてしまうと、よくわからない状態だった時よりかは冷静になれる気がする。視界の不明瞭さも、体の冷えもおさまり、早くなった心臓の鼓動だけが残った。手に冷や汗をかいていたのだと今実感する。
 俺が昨日の夜に思ったのはジャスミンに謝る案が見つかるまで、彼女には朝寝していてほしい。気分が晴れないまま数日過ごしたくない、時間がない、みたいなことだったはずだ。
 つまり、俺のせいでジャスミンが眠ったままになって、夜が明けなくなってしまった。
「その顔を見るに戻したいんでしょう。なんですか、ジャスミンが寝たままになっていたほうがいい悩みというのは」
 多少落ち着いたところで、今の状況の悪さを再認識してしまった。こいつらにジャスミンに謝りたかったと言わなければならなくなってしまった。ストックが目を半眼にしてにやりと笑っている。
 こいつ、ある程度予想がついていると見える。それなのに説明しろだなんて性格が悪いことこの上ない。
「ジャスミンに謝りたかった」
 周りを見ながらいうことができず、床と足先を見ながら、それだけ絞り出した。喉が渇いている。顔を上げずに目線だけ上にやると、目の前にコーヒーがおいてあったため、一気に煽った。
 苦い。
「そういうことですルルくん」
 ストックがルルの方に視線を向けたのが、声でわかった。やはりこいつは予想していたらしい。
「謝るって、二人はけんかしてたのかい」
 ルルが見当違いなことをいう。ジャスミンが喧嘩するような人に見えるのだろうか。あれは不満を飲み込んで波風立てないような女の子だろう。やたら謝るし、ぶつかっていくほうじゃない。
「いや、謝罪というか、お礼、みたいな」
 表現し辛くて言葉を濁す。思ったより冷たい言い方をしたら彼女に怖がれちゃった、なんていうわけにはいかない。
「謝ろうとしていたのに眠らせるなんて、どうやって謝るつもりなんですか」
 俺だって好きで眠らせたんじゃない。ウェンディが困っていた理由がよくわかった。月が願いを叶えるというが、叶え方はかなり適当だ。
「ジャスミンのマインドルームにはいって話をするとか?」
 ルルがよくわからない言葉を口にすると、セルが満足すればいいのだから寝ているジャスミンに謝ればいいのでは、とストック。
 マインドルームってなんだ。
 ききたかったが、ルルが頷いていて納得した様子なので、聞くのがはばかられた。
 結局俺が寝たままのジャスミンに謝るということで話が終わり、彼女の寝ている部屋に移動する。が、なぜかルルとストックがついてきている。
「なぜついてくる」
「助言したんだから見届けるのは当然です」
「いやあ、ロマンスロマンス」
 これはついてくるなといっても無駄なのだろうか。ルルに謝罪はロマンスではないと主張したかったが、隣にいるストックになにを言われるかわかったものではないので口つぐむ。なんせこの少女は、初対面の俺に向かって見当違いな話をしたのだから。
 ジャスミンのいる部屋が近づいてきたところで、足を動かすのをやめ、立ち止まる。俺の動きに合わせて、後ろの二人も立ち止まった。
「ところでルル。この建物は各部屋に鍵をかけることは可能なのか」
「もちろんだよ」
 そうか、と言って足早にジャスミンの寝ている部屋に近づいて扉を開け、すかさず閉めて鍵をかけた。扉の向こうでストックが浅はかだといいながら扉を叩いている声がきこえる。
「浅はかなのはお前らの方だ。もしおまえらに見られていることでうまく話せなくて未練が残ったら、ジャスミンは起きないままなんだぞ」
 扉にできるだけ近づいて言い返す。なかなか情けない言い草になってしまった。クールではない。それはあなたのせいになるのでは、というストックの言葉と、未練って幽霊みたいだねと感心した風にいうルルの言葉を無視してジャスミンに向き直った。
 幽霊を話題のタネにして盛り上がっている声がきこえるがきこえないふりをして、改めてジャスミンの様子を伺う。
 ジャスミンは体も頭も天井に向けたまま、ベッドの手前側で安らかな寝息を立てている。不思議に思ってとストックはいっていたが、隣で寝ている人がこんな上品な体制から動かなければ、不審に思うのも無理はない。
 俺がいつもやっていたゲームのシナリオに、目を覚まさない姫の話があった。目を覚ますための薬草と、姫を愛する者の言葉で目が覚めるというものだったが、姫を愛した男がなんといって彼女をおこしたのかは、何度遊んでもわからないままだ。テキストがないから。
 そもそも俺はジャスミンを愛する者ではないし、謝罪しにきたのだ、今はあの話を思い出す必要はない。
 俺が満足すればハテナが消える、といっていたが、なんといえば自分が満足するのかよくわからなかった。こうこうでごめん、というべきか、一言で謝るか。どうせジャスミンには聞こえていないのだから、なんといってもいいのかもしれない。
「心配をかけてすまない」
 心配してくれていたジャスミンにいいたかった言葉を、今更だが口にした。しかもジャスミンには届いていない。それでも、胸の中のもやもやした感覚が消えていくような気がした。
 今更でも、相手がきいていなくても、言わないよりはずっとマシだ。
 ジャスミンを見続けるのが気恥ずかしくなって、満足した、俺は満足したとつぶやきながら視線を窓の外に向ける。外には朝焼けが映し出されていた。まぶしい。みていると心が洗われていくようだ。朝日がこんなに気分を良くするものだとはしらなかった。時期に本来の日の高さまで昇ってくれるのだろうか。そうなったら、本当に俺は満足したことになる。
「おはようございます」
 眩しさに目を細めていると、後ろから声をかけられた。間違いなく、ジャスミンの声だ。心臓が跳ね上がる。
 俺のせいで今まで寝ていた相手におはようだなんて澄ました返事をすることにためらいを感じたが、さっき言った方がいいとわかったばかりではないかと思い直す。
「おはよう」
 ジャスミンはにっこり微笑み、ご迷惑をおかけしました、すみませんと付け加えた。
 今までで最も唐突な謝罪に、思わず情けない声がもれる。
「私が失礼な態度をとったせいで気をつかわせることになってしまって。すみません」
 話の行方がよくわからない。いや、わかりたくない。頭を下げている彼女の態度は間違いなく、俺の予想を裏付けるものだった。
「きこえてたのか、寝てたのに」
 彼女は困ったように眉を下げ、微笑んだ。
「はい。寝ているというより、目は覚めているのに体が動かなかったんです。目は見えませんでしたが、声はきこえていました」
 迷惑をかけてごめんなさい、と薄い掛け布団に入ったまま、深々と頭をさげる。
 ごめんなさい、とこの二日間で何度きいたことだろう。謝ればいいってもんじゃない。こんなに腰が低くて大丈夫かと心配になるくらいだ。
「迷惑をかけたのは俺のほうなんだが」
 思わず口をついて言葉がでてしまった。ジャスミンが驚いたように俺を見上げる。
 しまった、と思った。このままでは謝り合戦になりかねない。
「いや違う。俺も迷惑をかけたが、お前だって謝ってばっかりで腹が立つ」
 この際思ったことを言ってしまおうと思った。気分が清々しいせいだと思う。ハテナから、悩みから解放されるというのはこんなに気分がいいものなのか。
 ジャスミンはそうですよね、すみません、といいかけて、慌てて両手で口を塞いだ。
「変に遠慮しなくていい。俺はまだわからないことがたくさんある。お前に迷惑をかけるから、お前も俺に遠慮してくれなくていいんだ」
 言っていて、俺は今どんな顔をしてこんなことを言っているんだと恥ずかしくなってきた。迷惑かける、なんていってしまえばジャスミンと縁を切られるきっかけになりかねない。彼女からしてみたら俺は、ただ探し物が一緒な人というだけなんだから。
 だがこの場所でいうだけ言ってしまいたかった。ジャスミンを近くで支えてやりたいと、何度かの失敗の中で感じているから。
 彼女は俺の発言に困ってしまったようで、目をぱちくりさせている。少し前まで突き放していた奴がこんな図々しいことを言っているんだから、当然だ。
「ジャスミン、セルはいまハテナから解放されているので取り繕う気分じゃないんです、それは本心ですよ」
 扉の向こうからストックが間延びした声で告げる。忘れていた。ストックもルルも声がしなくなったと思っていたら、聞き耳をたてていたのか。
「お前は本当に性格が悪いな。盗み聞きなんてするんだからな」
 扉に張り付いて大声で言い返してやる。顔が暑いのは、気分がいいからだ、ストックに言い当てられたからじゃない。
 素直にお礼もいえないやつに言われたくありません、といいながら扉を叩いているストックとは別の声がきこえて、振り返った。声の主はジャスミンだった。彼女はベッドから降りて俺の前に立ち、深々と頭を下げている。
「ありがとうございます、セルくん。たくさん迷惑をかけてほしいです」
 そういって顔を上げると、にっこり微笑んだ。心臓が大きく跳ね上がる。
 朝の日差しが目に入って、まぶしかった。

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2012.08.15- Meijitsu Minori.