ストーリー

7話

ジャスミン

 夜のくらさが深みを増している中、俺とルルは、彼の家に迷うことなくたどり着いた。くらい森の中に小さな光が見える。
 こんな森の中で暮らしているとはいえ、よくもあんな暗がりを歩けるものである。
 彼にとっては迷惑だったかもしれないが、ルルも一緒に飛ばされていてよかったと思う。俺一人では、あいつらと戦うことはおろか、倒したとしても帰ってくることは出来なかっただろう。
 階段を下りたところに、ジャスミンとストックが立っていた。よくは見えないが、2つの影が家の前に立っているのだから間違いない。
 お互いの姿が見えるほど近づくと、ジャスミンが駆け寄ってきた。不安そうに碧い瞳が揺れている。髪がぬれていた。
 そういえば俺がルルの部屋に行った時、彼女はシャワーを浴びていたはずだ。髪を乾かさないまま、外に立っていたのか。夏とはいえ、それでは風邪をひくだろう。
「セルさん。おけがなどはありませんか」
「問題ない」
 てっきり怒られると思っていた俺は、予想外な言葉に冷たい返事をしてしまった。なんでいなくなったんですか、さがすのがたいへんではないですか。そんな言葉をかけられると思っていたのに。心配されていたのか、俺が。なんでついてきたのかもわからないような俺が。
 俺の言葉を怒っていると受け取ったのか、ジャスミンは安堵の息をついた後、余計な心配をしてごめんなさいと頭を下げてきた。
 ちがう。迷惑に思ったわけじゃない。そんなことでまで謝らせる俺は、本当になんのためについてきたんだ。
 迷惑なんかじゃない。心配させてすまない。ありがとう。もう部屋に入った方が良い。そう言おうとするが、言葉が喉にひっかかってでてこない。
 ストックがしらけた目で俺を一瞥した後、抑揚の薄い口調でルルに声をかける。
「急にいなくなられると心配します」
 あの、会ったときと代わり映えのない態度で、心配していたというのか。ルルはストックに目線を合わせるために身をかがめ、困ったように笑った。
「そうだね。心配させてごめんね」
 素直に言葉を出しているであろうルルが、うらめしく感じる。
 彼の言葉に満足したのであろうストックが、ボクはいうほど心配しませんでしたよ、と付け加えた。
「あのうさぎの仕業だとは予想がつきました。ですが、ジャスミンがあまりに不安げにするものですから、外で待っていたんです」
 ストックの言葉をきいて、ルルがジャスミンに向き直る。
「それは、セルがシールを持っていなかったからということかな」
「はい。ルルさんも一緒だろうとストックさんからきいていたのですが…すみません」
 ジャスミンの謝罪にルルが目を丸くする。
 そりゃあそうだ。こんなタイミングで謝られるなんて思っていなかっただろう。ジャスミンはたぶん、ルルはエンゲージができるのに変な心配してごめんなさい、といいたいのだろうが。
「謝ることはないよ。友人が危険な目にあっていると知って心配するきみに、文句をいう人は誰もいない。そんなことより腹が減ったよ。家に入ってなにか飲もう」
 疲れたと言わんばかりに腹をさするようにしてから、扉を指差す。階段をのぼりながらルルは、ジャスミンに髪をかわかしたほうがいいと声をかける。
「はい。ごめんなさい。床を濡らしたりはしていないので。本当にすみません」
 なにを言っても謝罪の言葉をつけるジャスミンの返答に、口元を引きつらせるルル。
「そーゆー意味じゃなかったんだけどな…」
 困ったように視線をはずした彼は、ストックの方に視線を向けた。彼女は無言で右手の親指と人差し指で小さな丸を作り、ルルに向ける。
 それを見て表情を和らげたルルは、ストックにピースサインを返した後、改めてジャスミンに話しかけた。
「それと、さんはやめてほしい。なんかへんな感じがするよ」
 片手メガホンのようにしてないしょごとのように用件を言う。俺にも、おそらくストックにも聞こえているんだが。
 ジャスミンはその言葉に謝罪して、ためらったそぶりをみせた後、ではルルくんでいいですか、とはにかんだ。
 ルルの方もその言葉をうけて笑う。
 ルルは相手への心配とか、謝罪とか、言いたいことははっきりいうやつだ、と思う。少なくとも今のところ、悪い奴ではないように感じる。一方俺は、ジャスミンが心配してくれたのに礼の一つも、謝罪の言葉もかけられないままでいる。酷い奴だ。
 本当に俺は、何をしにここにきたのだろう。


 家に入って、ストックがシャワーを使っている間、ルルは先の言葉の通り、コーヒーの用意をはじめた。匂いで分かる。開く口のついた四角い機械に水を注いでいた。思わず時計を見ると、時刻は三時を回っている。
 こんな時間に飲み食いするのか。しかもコーヒー。
 マグカップを四人分用意している。俺たちの分も作ってくれるようだ。
 気遣いはありがたいが、俺はコーヒーが苦手だった。クールではないので、そんなことはとてもいえないが。あんな苦いものを好んで飲む意味がわからない。
 水の方が手軽だし、まだマシだ。
 蒸気のようなおとをたてた機械からコーヒーが注がれていく。
「いいにおいですね」
 髪を乾かし終えたジャスミンが隣の部屋からでてきた。最初に通された部屋の椅子に座っている俺に視線をくれると、困ったように微笑みかけてくれた。
 元気がない。やはり、あんな冷たい言葉を向けるのではなかった。嫌われている。
「もうちょっと待ってね。そういえばジャスミン。セルが一人になっても、今日みたいに心配しなくて大丈夫そうだよ」
 前半はコーヒーのことだろうが、後半の言葉の意味がわからない。なんの話をしているんだ。俺をもうジャスミンに関わらせないとでも言うつもりか。
「セルも、シールみせてあげなよ」
 その言葉に、納得がいった。ラズラたちがシールといっていたときはピンとこなかったが、シールとは、おそらくさっき渡されたカードのことだ。あのカードがあればエンゲージができるのだから、ジャスミンにかける心配も減るといっているのだろう。
「これのことか」
 カード、もといシールをとりだして、ジャスミンのほうに差し出す。彼女は俺の手元をみて、ちいさく驚きの声をあげる。
「ルルくんがもっていたのですか。同期は一人一枚までなのに、よく持っていましたね」
「備えあれば憂いなしというからね」
 すごいです、とつけくわえたジャスミンの言葉を受けて、誇らしそうに胸をはったルルは、コーヒーをしぼりだしている機械のしたに置くマグカップを入れ替えている。
 ジャスミンは素直に感心しているようだが、なんとなく釈然としないものを感じる。
 そもそもなんのために備えなんて持っていたのだ。
 同期とはゲームでいうセーブデータのようなものなのだろう。シールがカセットだとすると、セーブデータが一つしか作れないゲームのカセットを、ルルは自分のとは別に、新品をもっていたということになる。シールを持っていない奴に渡すための状況なんて、どうして想定していたのだ。しかもしおりにして持ち歩いているだなんて、まるでああなるとこがわかっていたようではないか。
 いや、ほんとうにそうなのかもしれない。そんな女の子が目の前にいる。未来が視える女の子が。
「もしかして、ストックも未来が視えたりするのか」
 ストックも未来が視えるから、ルルにあらかじめ未来の状況を説明しておき、シールを用意させていた、という流れだと納得がいく。
「ストックはそんなことはできないよ。おれがそれを持ってたのは、本当にただの備えみたいなものさ」
 ルルが俺とジャスミンにそれぞれマグカップを渡してれた。コーヒーは黒く、カップの底が見えない。
「砂糖とミルクもお好きにどうぞ」
 いいながら、テーブルに白色のシュガーポットが置かれる。隣には、同じく白いミルクピッチャーが並んだ。
 なにもいれないまま飲み始めたジャスミンをみると、やはり何も入れないまま飲むのが得策なのだろうか。こんな女の子がなにも入れていないのに、俺が砂糖を入れるだなんて格好がつかない。クールではない。
 ルルはといえば、何も入れないまま平気そうに飲んでいる。唐突にそうだ、と指を鳴らすと、慌ただしく台所に消えた。
 しばしの間、ジャスミンとの無言の時間を過ごす。
 何かしゃべる話題もなく、ルルが帰っててくるのを待つ。長いような少しの時が経つと、横長の箱をもったルルが台所から現れた。ドーナツの絵が描かれたその箱をテーブルに置くと、仰々しい仕草で開く。
「苦い物と甘い物を交互に食べると、よりいっそうおいしくなるよね」
 そういいながら、どうぞと薦められる。チョコレートが所々についているものと、イチゴ味であろうピンク色のもの、あとはプレーンとチョコレートが練り込まれている茶っぽい色をしたものが並んでいた。ルルの言葉の通りだとすれば、これらはとても甘いのだろう。
 とにかく苦い物だけを飲むよりはマシかもしれないと、プレーンを一つ手にとり、いただきますと呟いて口に運んだ。
 口にいれたとたんに甘ったるい風味が広がる。もらうんじゃなかった。素直に砂糖でもなんでもいれて飲んでしまえば良かった。
 喉がはりつくような甘さに耐えきれず、コーヒーをあおった。
「本当ですね。別々に食べるのとはまた違う味がします」
 ジャスミンが驚いたような声を上げる。彼女のいう通りだ。なにか未知の食べ物を食べているかのような、甘いだけとも苦いだけとも違う、甘みと苦みが混ざり合ったような、それでいて不快ではない味。一言でいうと、おいしい。
ジャスミンの言葉に、そうだろうと頷きながらコーヒーをすするルル。ストックに残りのドーナツを選ぶ権利を譲るつもりのようだが、あのペースで飲んでいればすぐに飲み終わるだろう。
「ところでジャスミン。ドーナツとコーヒーを同時に味わうこの光景、視えたことはあるかい」
「いいえ。今はじめて視ています」
 ルルの言葉に、ジャスミンがコーヒーをいれたマグカップをテーブルに置いた。なにやら真剣な話だと思ったようだが、ルルの方は特に真面目ぶった様子もない。
「ジャスミンはおれたちがいる風景を視ていて、それがどんな状況なのか知りたくて、こんなところまで会いに来てくれたといったね」
「はい」
「ごめんね。その景色について思い当たる節はないんだ。でも、超人を捜すっていうのは、その光景に出会う近道かもしれない」
 ルルがストックに渡すはずのマグカップを手に取った。
「さっきセルは、ストックも未来が視えるのか、っていったろ。彼女にはそんな能力はないけど、きいてみないとそうとはわからないじゃないか。その景色だって、その場になるまでは、ジャスミンの探している景色だとはわからないと思う」
 話がみえない。もったいぶらずに、結論から話してもらいたいものである。
「想像だけど、ジャスミンの見た景色は超人をさがしている様子なんじゃないかって思うんだ。二人は超人を探してるんだろ」
「俺は超人というよりは、ヘルメットをかぶった奴を探している。そいつが超人なんじゃないかと思って、ジャスミンと一緒に探しているんだ」
 そう。ジャスミンは仲間の居場所を知りたいようたが、俺は違う。ヘルメットの男を捜しているだけだ。あいつが超人ではないとわかれば、俺とジャスミンが一緒にいる理由もなくなる。
「それは、クリアくんのことかな」
 だれだ、それは。ずいぶん親しげな呼び方だな。話の流れからして、あのヘルメット男のことだろうか。
「あのヘルメット男はクリアというのか。お前の知り合いか」
 あっさりお別れの瞬間が来たのかもしれない。胸の奥が痛む。ジャスミンに謝ることもしないまま、彼女とはさようならをして、もう会うことはないのだろうか。
 最後くらいは、きちんとした感謝と謝罪がいえるだろうか。
「うん。少し前に家に来たんだよ。今のセルとジャスミンみたいに」
 俺の心情など知る由もなく、ルルは話を進める。実際、知られていても困るんだが。
「そのときお二人は、知り合いではなかったのですか」
 ジャスミンがおそるおそるといった様子で手を上げて発言をした。今の俺たちのように、という口ぶりから察するに、そのときルルはヘルメット男のことを知らない、他人だったということになる。ジャスミンはその事実を確認したいが、俺とルルが話しているから間に割り込んではいけないと思ったのだろう。俺がヘルメット男を探していて、手がかりを見つけたから横槍をいれるのは忍びない、といった心境だろうか。どちらかといえば今俺は、ヘルメット男のことよりも、ジャスミンのことが気にかかっているというのに。
「初対面だったよ。『名前をつけてほしい。きみにしかできないことなんだ』っていわれてね。だから多分、クリアって名乗ってるんじゃないかな。名前もなかったし、たぶん超人だと思うんだよね」
 あいつは超人なのか。胸の中に渦巻いていた不安が消えていく。
 まだ、ジャスミンと一緒にいる理由がある。
 それにしてもヘルメット男、もといクリアは何がしたいのだろうか。俺のときは『きみがいないとだめ』といっていた。それに対してルルは『きみにしかできないこと』ときたもんだ。
 そもそもあいつにえらばれしもの的なことをいわれなければ、変な勘違いをすることもなかったはずだ。ジャスミンをぬか喜びさせることも、きっとなかった。見つけたときには真意を洗いざらい吐いてもらわなければなるまい。
「ジャスミンはなんでもかんでも未来が視えるわけじゃない。なのにおれと、セルといるある状況は視えた。そして今おれたちが出会った理由は超人探し。いま二人が考えて行動していることを続けることで、ジャスミンが視た光景はみえるんじゃないかな」
「いっている意味が分からんぞ」
 クリアにあったときのことを想像していたためか、思ったより怒ったような声の調子になってしまった。部屋の空気が冷たくなったように感じる。
 まずいと思ったときにはもう遅く、ジャスミンが小さく肩をふるわせているのが視界に入った。
 こわがられた。ますます距離をおかれてしまう。
「きみたちは視た光景に近づいてるってことだよ。実際現実でその光景を見るまでそのときどんな状況だなんてわかりっこないんだから、今まで通り超人を捜していくことで、いつかその時がわかるんじゃないかってね」
 俺とジャスミンがぎすぎすしていることに気付いているのかいないのか。怒ったような俺の声に一度は口を閉じたものの、気を悪くしたふうもなく続けるルル。
 なにか弁解をしようと口を開きかけたところで、シャワー室の扉の向こうから、ばたばたと足音が聞こえてきた。
「ルルくん。ボクがあがりましたよ」
 ストックだった。タオルを頭にかぶせて扉の向こうからでてきた彼女の足音を、はじめてきいたような気がした。食事の前など、気付いたら後ろにたっていたのだから。
 扉をあけて、おや、といったが、表情に驚きは感じられなかった。
「そういえば、今日は客人がきていましたね。セル、シャワー室にどうぞ」
 そうしたいのだが、ジャスミンに謝りたい。ストックの方をみて、しかし上手い言葉がでてこず、口をぱくぱくさせる。
「ナイスタイミングだよストック。話もちょうど終わったところだし、明日町に戻るのなら早く寝た方が良いからね」
 いいやバッドタイミングだ。ルルはこの気まずい空気を脱したいのか、それとも本当に気付いていないのか、いづれにせよ、俺に弁解する機会を与えてはくれなかった。
 ストックは口を開けたり閉じたりしている俺を見て、シャワー室にどうぞ、と再びいうと、もう俺のほうを見ようとはしなかった。ジャスミンの前まで歩いていく。彼女の前で足を止めると、髪に指を絡ませていじりながら、うつむきがちに彼女をみた。
「ジャスミン。ボク、同性の超人友達ということで、少し緊張しています。眠れる気がしません。眠たくなるまでいろいろお話をしてもいいですか」
 ジャスミンはこの言葉に大層喜び、目を輝かせた。何度も頷きながら、テーブルの上においたコーヒーの残りを飲み干す。こちらこそ、よろしくおねがいしますといってストックの手をにぎると、二人で寝室に向かった。
「ルルくん、コーヒーとドーナツ、おいしかったです。それと、超人探しを続けてみます。ありがとうございました」
 俺たちにおやすみなさいとったジャスミンの言葉の後に、ストックもつづけて声をかけ、扉を閉める。扉がしまりきる前に、ストックがこちらをみたような気がした。俺じゃなくて、ルルをみたのかもしれないが。
 完全に謝罪の機会を奪われた。いや、なにか口を開いたところで、俺に何が言えただろうか。あの状況で部外者だったストックにすら、上手く喋れなかったのに。
「おやすみー」
 扉の奥に消えた二人に手を振り、テーブルの上に置いてある、ストックのマグカップに注がれたコーヒーをあおるルル。自分の分はもう飲み終えたらしい。
 つられて、しょうがなく俺も残りのコーヒーを飲み干した。ドーナツがないと、やはり苦い。手を付けていないストックとルルのドーナツが箱の中に残っているが、さすがにこれを食べるのはきがひける。
 なんだかむなしい夜だ。ジャスミンを傷つけ、嫌いなコーヒーをすすり、最後には取り残される。
 最も、全部自分で招いたことでもある。が、だからこそむなしい。もし彼女にきちんと感謝の気持ちを伝えられていたら、コーヒーは嫌いだから飲まないと言っていれば、扉が閉まる前におやすみと、言えれていたら。
「そいえば、寝る前にコーヒーは変だったね。二人ともちゃんと寝れるかな」
 今ようやく気付いたらしいルルが、わるいことをしたな、といいながら扉をみる。俺だって飲んだし、ストックはコーヒーに口を付けていないのだが。
「しるか。シャワー借りるぞ」
 このマイペースさから察するに、多分さっきの空気には気づいていなかったんだろう。それはそれで安心するような、腹が立つような、煮え切らない感情が腹の中に渦巻く。唐突に、不条理を全部こいつに押し付けたくなった。殴りつけて、それで今のジャスミンとの関係が変わるなら、いくらでも殴ってやりたい。どうしてこいつは能天気にしていて、俺ばかりが困る状況になっているんだ。
 そこまで考えたとき、自分がまいた種を理由に、他人に暴力を振るいたくなる自分がこわくなった。ともすると本当にルルに当たってしまうかもしれないと、彼の返事を待たずに部屋をでる。


 大体ストックだって、最初はジャスミンに冷たくしていたのに、なぜあいつは許されて俺は気まずい思いをしているんだ。緊張していたといえばなんでも許されるのか。
 シャワーを浴びながらも先程のことばかり考えてしまい、全く気が晴れなかった。森の中にワープする前はストックの言葉の真意が気になっていたが、今はそれどころではない。自分が発端で、ジャスミンを傷つけてしまったのだから。
 先の部屋に戻るための廊下を歩きながら、明日どうやって謝ろうかと計画を練る。朝一で謝れたら一番良いのだが、それではルルやストックにきかれるかもしれないし、なにより記憶に残ってしまう。もっとさらっと、意識しないと忘れてしまいそうなほど軽く謝りたい。謝るのは、クールじゃないから。
 今までのようにジャスミンと話がしたいが、かっこわるいやつだとは思われたくない。
 ルルがいる部屋まで戻ると、マグカップやドーナツやらは片付けられていた。部屋が先ほどよりも閑散としているように感じる。
 当たり前だ。ルルが一人でいるだけなのに、にぎやかになっていたら変ではないか。
 そういえば、はじめてこの部屋に入ったときはもっと楽しい思いをしていたような気がする。こんな晴れない感情は持っていなかった。ストックを感じわるいなと思ったり、彼女の言葉がきになったりもしたが、ジャスミンが名前をもらってうれしそうにしていたり、四人で食事をしたり、今の心境よりはよほど満ち足りたものを感じていたはずだ。
 少し前の出来事を、昔のことのように振り返っていると、視界の端に何かが動いた。部屋の隅の方に置かれた、クッション材の入った横長の椅子に寝そべっていたそいつは、上体をおこして俺の方をみる。
「セル、あがったんだ」
 ルルだった。他の二人は寝室にいるのだから、当然と言えば当然だ。先ほどまで生命力に満ちあふれていた目が、すこし虚ろに見える。どうやら眠たいらしい。マグカップ二杯分のコーヒーを飲んでいたというのに。彼が大きく伸びをすると、いくらか目に活力が戻ったように感じられた。
「待たせて悪かったな。寝てたんだろう」
「いや、人と話をしていただけだよ」
 なんだそれは。意味が分からない。シャワーを待たせただけでなく、心の中でこいつをボコ殴りにしたことも悪く思っていたのに。だれだってうそだとわかるうそをつく真意はなんだ。
 しかしルルの方はそれを事実としたいらしく、立ち上がって話を続けた。
「セルこそ、こんな時間まで起きていて、眠たくないのかい」
「べつに。どうせなら、明日まで起きてたって問題はない」
 本当は今すぐにでも眠ってしまいたかったが、嘘をついた。明日謝らないといけない。こんなもやもやを抱えたまま何日も過ごすのはごめんだ。しかし、ジャスミンにそれとなく謝罪する方法はまだ、思いついていない。つまり、まだ寝るわけにはいかないのだ。
「体力あるね、おれならエンゲージをしたらすぐに寝ちゃうよ」
 体力があろうがなかろうが今は関係ないのだ。それに褒められたって意味がない。本当は疲れてるんだ、寝たいんだ。これはうそなんだから。
「そいえばセルのバンダナってかっこいよね。主人公みたいだなって思ってさ。体力もあるわけだよね」
 体力の有る無しを身につけているもので判定する思考回路がよくわからない。脈絡のない会話の流れに不自然さを感じるが、驚いた。こいつはあのゲームを知っているのかもしれない。バンダナをした主人公が、世界が乱れた原因である魔王を倒す、あのゲームを。
 興味がある。あのゲームを知っているのだとすれば、話したいことはたくさんある。だが『あのゲーム知ってる?』などという質問は全くクールではない。ききづらい。
「そんな話を、知っているのか。バンダナをした主人公がでてくる話を」
 考えて、当たり障りのない言い方ができた、と思う。どこか必死にきこえるような言い方になってしまったが、この際気にしないでおこう。
「うん。物語の主人公と言えば、やっぱりバンダナだよね!御伽話にでてくるすごい人物の絵って、大体バンダナをつけているし」
 違った。ルルがいっているのはゲームではなく、本のようだ。本は読まないからわからない。
 関心を失い、適当な相づちをうって会話を引き上げることにする。時計に目をやると今は朝の四時。あと数時間でジャスミンに謝る作戦を練らなければならない。時間がない。
 いい作戦が思いつくまで、ジャスミンには合わせる顔がない。寝るのが遅かったからと、朝寝でもしていてほしい。
「俺がうさぎに飛ばされたときにつき合ってくれたんだ、疲れてるんだろう。寝た方がいいんじゃないか」
 暗にさっさとねてくれと厄介払いをしているのに気付いていないらしいルルが、そうだねとうなずく。
 おやすみといって、シャワー室がある扉の中に消えていこうとする彼をひきとめた。ききたいことがあるといって。
「もし仮に、自分の言葉で誰かを傷つけたら、お前はどうやって関係を修復する」
「謝るかな、おれが悪いんだし」
 あっけからんとした口調で、至極当たり前な返答を返してきた。悩むそぶりもなかった。
 そりゃそうだ、悪いのは俺なんだから、素直に謝るべきだろう。
「そうか」
「さっきのは、心理テストかな。おれはどんなやつだって?」
 まるで参考にならないと腕を組んで考えようとした仕草が、何かを思い出そうとしているように映ったらしい。いまジャスミンに謝る方法を考えている、なんていえる訳がないので、適当に診断結果をつくることにした。
「発想に豊かさがない凡人だってよ」
「手厳しいね」
 そういって彼は部屋をでた。残された俺は、寝るために与えられた部屋に移動して、作戦を練ることにする。
 ふと窓の外に視線を移すと、まだ月が昇っていた。真夏なのに、もう朝日が昇っていてもいいの時間なのではないかと思ったが、ジャスミンの方が気にかかり、深く考えることはなかった。

すすむ

ホームページを見てくださってありがとうございます!

2020年12月27日にマルソールは移転をしました。

移転したことに伴い、URLが変更になります。
新しいURL:https://tm.memon.site/

過去のURLは2021年6月には見れなくなってしまうので、もしお気に入りに入れてくださっている方、リンクを貼ってくださっている方がおられましたら、上記のURLにリンクを変更していただけないでしょうか。

2012.08.15- Meijitsu Minori.