ストーリー

19話

きみの願いは叶う

 雨は降り続いている。
 ボクが落ち着くまで根拠のない大丈夫を繰り返していた人間は傘を持ち直して、ボクもその中に入れるように傾けてくれた。傘なんて必要ないけど、その動作を見て手が濡れていた理由を理解する。雨は冷たくてぬるいことも。
 もう片手に、ボクに差し出してきた傘を握っている。拒絶したことを思い出して、心臓が青く染まった。
「話してくれてありがとう。それで、さっきの話」
 胸の中に重りがのる。
 ありえないよね。
 嘘をついているだろう。
 信じると思ってる?
「きみを造ったという人の名前に、心当たりはないかな」
 否定されると思ったのに。説明なんて言葉もふさわしくない、足りない話を事実とした上で、彼はまだ人探しの手がかりを探している。
 ボクはもっと真摯に応えなければならない。彼のほとぼりが冷めるまで待つのでもなく、会話が難しいなんて言い訳もせずに。
 ずっと昔の記憶を辿る。手がかりがあるとすれば、あのおじさんが電気を消すきっかけになる人間の言葉。
『よろしくお願いします』
『さすがですね』
『きてください』
『急いでください、博士』
 博士。違う。
 口にしようとして名前じゃないことに気づいたけど、知らない間に下を向いていた顔を上げた。同じ目線に人間の顔があって、記憶の中の何かが引っかる。
『それで、彼女のことですが……。きいているんですか』
 この後に続いた名前は、たしか。
「スターリム、博士?」
 口にした名前に、目の前の人間が息をのんだのがわかった。
「じゃあきみは」
 つぶやいて深く考え込むように下を見た彼の行動に、ボクの心の中が黒くなる。
 ボクは、もう見てくれないのか。
 思いが通じたのか、彼は一転して嬉しそうに笑ってボクを見る。まっすぐに。
「きみは、おれと同じかもしれない」
 なにが同じだ。
「説明してください」
 彼は憶測や妄想が入っているかもしれないと前置きした上で、しゃべりだした。
「その博士は人間を造っているんだ。ただ、造るのは普通の人間ではなくて次世代型の人間。ゼロと戦うことができる力を持った人間が、彼は造りたいんだよ」
「ゼロってなんですか」
 ボクは同じの意味が知りたかったんだけど。でもこの人間の話が回りくどいことはわかってきたから、忍耐強く待とう。
 ボクに与えられた知識の中にゼロなんて生き物はいなかった。あの時おじさんが不思議がっていた何かは、ボクにいれそびれた何か、だったのかも。
「ここより外の世界があるんだ。木の外って呼ばれている。そこでは、ある時からゼロっていうよくわからない生き物が目撃されるようになってね。人を襲ったりするらしいんだけど、対処法がわからなくて困っているんだ」
「らしいってどういうことですか」
「おれはあったことがない、ということさ。ゼロにあったら生きて帰れないといわれている以外、情報が伝わってこないんだ」
 つまり、目撃者は生きていないということか。
「わかりました。続けてください」
「それで、木の外の真ん中にある大きな国の偉い人たちが、スターリム博士に目をつけたんだ。博士は昔の世界の文明を現世に蘇らせているすごい人でね、彼ならなんとかできるんじゃないかと頼み込んだ。博士は自分にできることがあるならば、と快諾したらしい」
 そこまで話して、彼は静かに首を振った。
「それから何人か次世代型の人間を造ったけど、成果は上がらず」
「まだ、ゼロを倒せる人間は出来ていない?」
「そういうこと」
 この人間にどうして別の次元のものが見えるようになったのかたずねたとき、人でなしだからだと答えた。人間のようだけど、人間じゃない、次世代型人間の失敗作。だから、人でないのか。
 つまり、こいつも造られたんだ、スターリム博士に。
「博士のところに戻って、ボクがいることを説明したりはできますか」
「そう、そのことなんだけど」
 ボクの期待を込めた発言は、なんだけど、に阻まれた。だけどに続く言葉にいい意味はない。詳しい話を待たずとも、続く言葉がボクにとっていい内容でないことだけはわかった。
「どうやら、スターリム博士は行方不明らしいんだ。それどころか、ずっと前に亡くなったという人もいる」
 彼の発言は、おかしい。
 ボクは造られてから何年も経っている。冷静に考えてみると、博士と会えるはずがなかった。外の影響を一切受けないせいか元からそういう風に造られたのかはわからないけど、ボクは年をとっていない。人間が三世代以上老いて死ぬまでの間、ボクはここにいた。
 それなのに、あのおじさんは、博士が、まだ生きているはずがない。
 博士はもうとっくの昔に死んでいる。この人間に周りの人が説明しているという、行方不明や亡くなったという話はおそらく事実。
 ならこの人間は、何年前に博士に会ったんだ。
「あなたは、何年前に造られたんですか」
「十数年前だと思うんだけど、確認できるものがないからはっきりしなくて。ただ、博士に会ったのは間違いない」
「そうですか」
 やっぱり変だ。博士は何百年も生きていることになる。
「まだ諦めることはないよ。博士には会えないけど、一歩前進というところじゃないか」
 ボクの考える動作が、人間には落ち込んでいるように見えたのか、慰めの言葉をかけてきた。
 いや、前進じゃない。
 この人間の中で、ボクは博士を探しているということになっていた。その博士は行方不明か死亡。探す相手がいないのなら、人間が手伝うことなんて何もない。
 つまり、この人間とはさよならだ。
 最初からわかっていたことだ。ほとぼりが冷めるまで一緒にいたって、これから死んだ博士の手がかりを集めるにしたって、ボクはこの人間と一生一緒にいるわけじゃない。ボクにはこいつしかいないけど、この人間には他に時間を共有する相手なんていくらでもいる。相手の見つからない人探しに、いつかこいつは飽きてしまう。どこかに行ってしまう。
 全身が、真ん中が、熱い。真っ赤だ。もう泣いたりはしない。みっともないことはしたくない。ちゃんとしよう。
「もう手伝うことなんてないよ」
「いや、まだある。きみの願いを叶えなきゃね」
「だから、それはもう終わったって」
 話の不透明さにイライラしてきた。時計塔で見ていて、友人や家族との会話で苛立つ人間をバカだと思っていたけど、ボクもそのバカなようだ。
「きみが雨を降らせているって気づいてないのかい。おれと同じなら、気づけると思ったんだけど」
 なんだよそれ。まるでボクが悪いみたいな言い方。雨なんか操れるわけないじゃないか。そもそも、ボクとこいつは同じじゃない。
 さよならするなら早くしてよ。
 違う。しょうがないもできないからも、やめるって決めた。自分から何かするって決めた。待ってるだけじゃだめだ。ボクはボクのことを嫌いになりたくない。
 自分からさよならするんだ。もう手伝えることはないから、いつもの生活に戻りなよって。
 ボクのいつもの生活。
 いつ来るかわからない希望を、惰性で待つ生活。
 でも、目の前にいるのも、ボクの希望。
 足を止めようと思ったけど、体はふらふらと人間に近づいた。心と体に一貫性を持たせなきゃ。これからボクがすることを、ボクの意思だって認めなきゃ。
 腕を引っ張り、足を思い切り払った。傘が転がっていくのを横目で見て、体制を崩して雨の中地面に倒れこんだ人間の胴体を、足で挟む。
 足の間の熱は、今は憎たらしい。
 さよならしなきゃ。希望とさよならして、それで終わろう。
 結局ボクは変わらない。いつかが来ることを夢見る方が、そんな日は一生来ないと宣言されるよりもずっと楽だ。
「どうしたんだい。きみ、あ、そいえば名前は」
 急な出来事に慌てたのか、人間は名前をたずねてくる。今きくことじゃないだろ、それ。場違いな質問に、余計にイライラさせられる。
「やっぱり違うよ」
 ボクの独り言に、人間の両の目が震えた。青い目が、空の色に似ていると思った。空。近くに見えるのに近づけない、人間の世界と同じ。
「名前、ないもん。おまえはおじさんと話をしたり、名前をもらったりしたんじゃないか。ボクには名前なんてないもん」
 口から出た言葉がえらく惨めに思えた。身体中が煮えているみたいな感覚をどうにかしたくて、目から流れる熱をどうにかしたくて、人間の顔に両手を当てる。
 雨がつたっていて冷たい。心地いい。でも、足りない。ぬるいからだ。この人間の体温が邪魔だ。驚いたようにボクを見る目線が、邪魔だ。
「それだけじゃない。ボクはあんたに会うまで誰とも話したことなかったのに、いろんな人に会ってるの知ってるんだぞ。それなのに、それなのに」
 顔を撫で回して雨を感じてから、ゆっくり首に手をかける。この後どうしたらさよならできるのか知っている。どうしたら冷たくなるのか知っている。
「同じだなんておかしいだろ」
 十数年前に造られたといったこいつは、見た目と年齢が一致している。ボクと違って、お前は年をとる。これも違う。やっぱり同じじゃない。
 腕から手に、力を込める。彼の口からうめきみたいな音がきこえて、呼吸ができなくなったことがわかる。
 もうちょっとだ。もうちょっとで、いつもと同じ日々に戻れる。
 もう期待なんてしない。捨てられるのは嫌だ。期待しておいて、いつもの日々に逆戻りするのは嫌だ。仮にこいつが死ぬまでボクのそばにいて甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたとしても、いつか死ぬ、博士みたいに死ぬ。こいつさえいなくなれば、ボクはいつものボクだ。いつかを惰性で待つ日々に戻れば、もうこれ以上ボクを嫌いにならなくて済む。
 他の人と同じ土俵に立ちたかったのに、それ以上に無理だといわれるのが怖い。
 腕に力を込めているのに、力いっぱい抑えているはずなのに、なぜだか手が震えてきた。まだ力が足りないのか。
 もっと力をと思うのに、どんどん力が入らなくなっていく。ボクの腕なのに。ボクの手なのに。ボクはボクの体からも見放されるのか。失敗作だっていわれるのか。そんなのあんまりだ。そんなの嫌だ。
 首から伝わる雨の温度はぬるいまま変わらない。
 ちゃんとするって決めたのに。バカみたいに落ち込みと舞い上がりを繰り返しただけで、たったの一つも出来ない。
 こもった声で言葉にならない言葉をもらした人間は、声に出そうとすることを諦めて口だけを動かす。
 どうせきいたって意味がない。ないけど、はっきりしないのは嫌いだ。今のボクは一番嫌いだ。
「なに。きこえない」
 顔を思い切り近づけてみると、かすかに声がきこえた。まだ喋ってたのか。雨音のせいでよくきこえないから、首を抑える手をゆるめる。
 ねがい。
 そういっているらしかった。
 まだ話を続けるつもりなのか。この状況の意味がわからないのか。こんな状態で、ねがいなんて一つしかない。ボクは加害者で、お前は被害者じゃないか。これも違う。同じところなんてない。
 何がねがいだ。ずっと前から持っていたのに、いざ叶いそうになったらこんなことしかできないボクをバカにしているのか。そんなに話の続きがしたいなら。
「叶えられるものなら叶えてみろよ!ボクを外に出してみろ!」
 溢れた言葉を、雨音が連れていった。
 叫んだら腕に力が入らなくなった。肩で息をしながら、震えて動かなくなった腕を下ろす。ボクが腹の上から降りるのを待たずに身をよじって激しくむせる彼を、ぼんやり見下ろした。
 雨音と、人間の苦しそうな声だけが響く。
 ボクとは違う種類の涙を流していた彼は、上半身だけ起こして力強くボクの手を握った。やり返されると思ったけど、抵抗する気はなかった。
「きみの願いは叶う」
 かすれた声の予想しなかった言葉。まっすぐボクを見る目。おかしい。腕だけじゃなくて耳も目もおかしくなったんだ、ボクは。
「失敗作だってできることはあるって証明するよ、ストック。ここは願いが叶う町だ」
 なにそれ。
 ボクがもし、優しくした相手に好意を無下にされたとしたら、経験はないけど、されたとしたら、怒る。許さないと思う。暴力をふるいたくなるかもしれない。この人間にしたことを、同じようにするかもしれない。
 おかしい。寒気がする。そういえば、身体中の熱さがなくなっている。腕のしびれだけを残してどこかにいってしまったらしい。あんなにイライラしていたのに、ボクはまたからっぽになった。
「ストックって、なんだよ」
「名前だよ。『愛情の絆』という言葉をもつ花の名前さ。名前がないとか人と話したことがないなんて、今からいくらでも変えられるじゃないか」
 名前をきいたり呼んだりすることは絆のはじまりだよと、彼は付け加えた。
 その名前にボクは返事をしない。まだ問題がある。言葉だけじゃどうにもならないことが。
「誰にも見えないボクに一生言葉をかけるつもりなの。そんな人、気味が悪いよ」
「大丈夫、おそらくね」
 根拠のない言葉とともに差し出された手を眺めていたら、彼のもう反対の手に引っ張られて、握らされた。
 見上げると、ボクに笑顔を見せた。その笑顔はボクに向けるものじゃないのに。
「おれはね、木の中に来てから、いろいろなことが見えるようになったんだ」
「それはさっききいた」
「そう。この話には続きがある。博士に造られた人間には、博士が意図しなかった力が備わっているらしい。おれにも、おそらくきみにも」
 人間は、彼の目の前にあるらしい、ボクには見えない何かを指で叩いた。細かく分かれているらしい何かを、法則性もなく叩いている。 
「きみが普通の人間にも見えるようになる方法が、これしか思いつかなかった」
「具体的にどうするつもりなの」
 ボクには何も見えないから、何をしようとしているのかもよく分からない。他の誰かが見えない何かを叩く姿も、見たことがない。
「おれはおれ自身のことを書き換えることができるんだ。といっても、うまくいかないこともあるから、大丈夫だと言い切ることはできないけど」
 彼は初めて卑屈な言葉を口にした。何をするのかわからないけど、失敗したらボクはまた何かしでかすほどにこの人間を憎むかもしれない。
「ボクにもそれはできないの?」
 人間は目をパチクリさせた。彼はボクには何も見えない目の前を指差す。
「そうか、そういう方法もあるよね。自分の目の前に青白いボードは見えるかな」
「見えない」
 即答したら、何かを指差した状態のままで硬直してしまった。
「何を傷ついてるの」
 顔の前で手を左右に振ってみたら、なんでもないよと返された。きみは別の何かができるにちがいないねと付け足して、指を一本立てる。
「話を戻そう。失敗する可能性もあると理解した上できみが承諾するならば、おれの影をきみがいる次元とのワームホールのようにして、きみをこっちに引っ張り出したい」
「影?」
「そう。探していた博士には会えないけれど、こっちに来たらやりたいことがたくさんあるだろ。きみの人生を歩むためのワームホールなのに、おれが介入しなければ行き来できないものにはしたくないと思って。影は消えたりしないからね」
 彼はボクをうまく連れ出すことができたなら、今のように積極的に接してくることはないといっているようだった。自分の足元にある影を使って好きにしてくれ、許可や挨拶はいらないから、そんな言葉だった。当然だ。ボクがこの人間にしたことを振り返ると、言葉を交わしている今が異常なんだから。
「失敗したらどうなるの」
 彼は、ボクの質問に答える前に空を見た。雨が降っている。
「どうなるか分からないんだ。そうだね、その話をしないと」
 何度も頷きながら、ボクのせいで雨に濡れた服を絞った。傘は差していないから、また濡れるだけなのに。
「二回。おれが今まで自分を書き換えた回数だ。今回使うなら三回目」
 彼は指を二本立てて、三本目を反対の手で隠してボクからは見えないようにした。ボクは黙ってきくことにする。
「一回目は、他の人には見えないものが見えるようになった時。自分が変な形で見えたから、人間の姿で見えるように書き換えた。他の人には人間として見えていたらしいけど、なんか変だったよ」
 立っている片方の指を折る。
「二回目は、エンゲージをできるようにする時。おれはエンゲージができなかった。シールを使ってもリンクができない」
 人間は懐から本を取り出して、その中に挟んである白いカードを取り出してみせた。シールだ。ボクにはリンクをしている状態なのかそうではないのかがよくわからないけど。
「これからきみに使うかもしれない力を使ったら、シールなしでトイミューズを出すことができるようにはなった。けど、物理的に喧嘩をするのと変わらない状態になった」
「物理的にって?」
「おれ本体が怪我をするんだ。きみももしかしたら、エンゲージはできないかもしれないな」
 ボクは気付いたらシールを持っていたけど、ボクには無用の長物なのかもしれない。今までも、これからも。
「いつからエンゲージができなくなっていたの」
「はじめからだよ。木の中に来てからずっとだ」
 別に構わない。エンゲージがしたいだなんて思っていないし。経験値を貯めて木の外に出たところで、会いたい人はいない。
 エンゲージの件はいい。重要じゃない。それよりも大前提の問題がある。
「まだききたいことがあるんだけど。その能力って、失敗してから使ってないんだよね。失敗したのが嫌だったから、それから使ってないんでしょ」
「そうだね」
「本当に使うの、ボクに。ボクがあんたに何をしたのか、わかってないことはないでしょう」
「きみはおれに何をしたんだい」
 何だこいつ。ボクは気を遣って、嫌なら使わなくてもいいっていったのに。
「きかなくてもわかるだろ」
「わからないよ」
 目の前に火花が散ったみたいに、真っ白になった。すぐに景色を取り戻したけど、頭にのぼった血は引かなかった。
「そんなわけないだろ!無視をしたし好意を何度も無下にした!優しさに甘えておきながら、わがままであんたの首を絞めたんだぞ!あんたが何かいわなけりゃ、今頃こうして話ができる状態じゃなかった!」
「そうか、よくわかったよ」
 もうこの話は白紙だ。ねがいは叶わないしこの人間はどこかへ行く。
 適当に頷いて、どうなるかはわからないけど、任せてしまえば外に出られたかもしれないのに。それでも後悔はない、と思いたい。ボクはちゃんとできた、はずだ。
「おれは悪魔を召喚しようとしているわけじゃないってね」
「なにそれ」
「無視をしたり好意を台無しにすることを悪いと思えるのなら社会性があるっていいたいのさ。きみの心は人間そのものだよ」
 なんだよそれ。
 ボクのどこに社会性があるっていうんだ。
「最初から全部うまくはできない。今はそれで充分だ」
 充分なんかじゃない。未満だ、足りてない。なのに、ボクに力をかしてくれるっていうのか。
「なんでそんなに、ボクにおせっかいを焼くの」
 冷たくなるんだ。熱くなるんだよ。あんたと話してるとずっとなんともなかった心の中が、苦しくなって息苦しくてどうしようもなくなるんだ。
 もしかしたら人間はみんな、いろんな人と触れ合っていく中で心を揺さぶられているのかもしれないけど、今のボクにはわからない。この人間が悪いのか、ボクが悪いのか。
「おれにはハテナが見える。きみの願いをみたんだ。『自分を見る人が現れないなら自分も誰も見たくない』って。結果がこの雨だ」
 彼は空を見た。雨を避けることなく話し続けてびしょぬれだ。ボクは何ともないのに。
 ボクにもハテナをおこしている人はわかる。でも、自分をまじまじ見たことなんてないから、気づかなかった。
「おれにも何かができると思いたい時に、きみを見つけた。やさしい理由じゃないんだ。きみのしたことと同じだよ」
 ボクのしたこと。
 ずっと生きていても希望はないといわれるのが怖くて、彼の首を絞めた。ない希望をかき集めている方が気楽だと思ったから。相手は誰でもよかった、ボクを見ることができる人間なら。彼もボクじゃなくてもよかった。
 自分を守りたかっただけなのか。同じことなのか。
 ボクとこいつは同じなのか。
「質問はもうないかな」
 彼が差し出してきた手を、眺める。さっきみたいに引っ張られることはなかった。
「一回目は成功で二回目は失敗だった、確率は半々。どうしたい」
 ボクが選ぶ。選んで、どうなっても結果を受け入れる。ボクの願いを叶えてもらうんじゃなくて、自分で選ぶんだ。
 どうするかなんて、もう決まってる。
 手を差し出して、強く握る。彼はびしょ濡れだ。力が強かったのか、痛そうに顔をゆがめたけど、すぐに表情をほころばせた。
 もしうまくいったら、新しいねがいができちゃったといったら、やっぱり怒るだろうか。さすがに見捨てられるだろうか。
 さよならが惜しくなったボクは、最悪だ。いろいろひどいことをしたのに、まだ図々しくも頼みごとを重ねるのか。
 そう思うボクもいるけど、この気持ちはボクのものだ。繕ったって変わらないんだから、きいてみよう。
「教えてよ。あなたの名前」


「ルルくん」
 聞き慣れた足音がきこえて顔を上げると、ルルくんが見えた。後ろに誰か、一緒にいるらしい。
 膝の上に置いたボトルを手に持って、二人に近づいた。
「ずいぶん遅かったですね」
 平謝りをされるのは癪だから先に文句をいっておく。
「ごめん。彼を見つけて」
 ルルくんに前に出るように促された男には見覚えがあった。白い髪、顔を覆ったヘルメット。無口そうな口元。
「クリアじゃないですか」
 名前を呼ばれても何もいわない。黙って連れてこられるなんて、動物みたいだ。
「クリアだよ」
 一拍置いて口を開いた。何だこいつ。
「証人は彼女でいいよね。ぼくはもういくよ」
 振り返って元きた道を歩き出そうとする彼を、ルルくんがひっつかんだ、慌てているみたいだ。クリアの言い方だと無理をいって連れてきたんだろうな。証人って、どんなやり取りをして連れてきたんだろう。
「あってほしい人がいるんだ。きみを探しているんだよ」
 クリアは振り向いて、そうかと呟いた。
 普通はそれは誰?と尋ねるところだと思うけど、クリアは違った。
「セルヴァル・フォーテッドに伝えてよ。きたるべき日まできみには会わないって」
 きえた。
 言葉だけを残して、彼はいなくなっていた。ルルくんが掴んでいたはずだし、ボクもずっと、視線を外していなかったのに。
 ルルくんを見ると、掴んでいた左手を開いたり握ったりしている。彼にもよくわからないみたいだ。
 彼と目があった。空気だけを掴んだ手をしきりに動かしながら、不思議そうに青い目を開いている。
「セルヴァルってだれ」
 ボクの晴ようのない疑問を行き場なくルルくんにぶつけた。彼はもしかして、と呟く。
「セルの事じゃないか」
 ずいぶんいかつい名前してるな。違うでしょうといおうとしたけど、他に似た名前の知り合いはいない。
 もし仮にセルヴァルがセルだとして、なぜクリアが彼の本名を知っているのか。ボクとルルくんだけではわからない。本人にきくのが手っ取り早そうだ。
 晴れた日の夕暮れ、ボクとルルくんは頷きあった。

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2012.08.15- Meijitsu Minori.