ストーリー
「失敗した」
ボクが生まれてはじめてきいた言葉。
液体の中に沈められ、透明な板の向こうにいる白衣のおじさんの独り言に、ぼんやり耳を傾ける。
なんとなく、ボクがどうしてこんなところにいるのか、ボクがなんなのか、わかっていた。
ボクは、あのおじさんに造られた人間。
あのおじさんは、ボクのお父さんだ。
でなければ、あの人にボクを見て欲しい気持ちに説明がつかない。あの人に対する、愛おしさの説明がつかない。
「どこにもいないじゃないか。うまくいくと思っていたのに」
ボクのことかな。
いる。ボク、ここにいるよ。
「失敗だ、失敗だ、失敗した」
失敗じゃないよ。ボクを見てよ。
「こんなのは、私の」
おじさんの口調に苛立ちが含まれていくけど、そんな気持ちになる必要はないはずなんだ。そんなに悲しまなくていいんだ。
ボク、ちゃんとここにいるから。
手を伸ばそうとしたけど、板の向こうに触れることができなかった。
それどころか、板に触れることさえできなかった。
ボクの体を見てみるけど、別におかしいところなんてない。手もついてる。体も、足もある。顔があるべき場所を触れると、確かに何かが付いているし、そもそもボクはあのおじさんを見ている。おじさんの声をきいている。顔がないと、そんなことはできないはずだ。
もう一度手を伸ばすけど、届かない。板に触れているはずなのに、硬い材質に触れられない。
どうして。
「なんだ、これは」
おじさんの不思議そうな声に、ボクは顔を上げた。ボクに気づいてくれたんだと思った。
最初になんていおう。はじめまして?それとも造ってくれてありがとう、かな。
呼び方は、おじさんっていった方がいい?お父さんの方がいい?
どっちがいい?
早く外に出て、おじさんと話がしてみたい。おじさんに触れてみたい。おじさんの隣にいきたい。
期待とは裏腹に、おじさんは板の向こうからボクの方を見ているけど、焦点はボクにあっていなかった。ボクの隣か、手前か、奥か。よくわからないけど、ボクには見えない、近くにある何かを見ていた。
「これは、どうして」
どうしたの、おじさん。
「消せないじゃないか、なんだこれは」
何を消すの、おじさん。ボク?ボクじゃないよね。
そんなはずない。おじさんは、ボクを造ったんだ。消す必要がない。
その前におじさんは、ボクを見つけてない。
おじさんは、荒いため息をついて立ち上がった。
「まあ、いい。消す方法なんて、いくらでもある」
いいんだ。何のことかわからないけど、いいんだね、おじさん。よかった。なら早く、ボクを見つけて。ボクを見てよ。
おじさんは、ボクの入っている板の近くにある何かに手を伸ばした。小さな音がして、何も見えなくなる。
真っ暗だ。
どうして、おじさん。ボク、ここにいるのに。電気を消さないで。
おじさんはしばらくの間は、朝、光を入れにきてくれた。ボクの近くにある何かを必死に見てはイライラした言葉をいって、部屋の奥にある扉から人の声がするようになると、慌ただしく電気を消していってしまう。
それに、ボクに気づくことはなかった。
板の向こうにいるおじさんがやつれていっても髪が白くなっても、外からひどく大きな音がきこえても、おじさんはボクに気づかない。
おじさんが板に光を入れてくれることもなくなって、しばらく経った頃、理解した。
ボクは、おじさんの失敗作らしい。
ボクは、あとずさるように後ろに下がって、振り向いた。
後ろにはまだ道が続いている。真っ暗だけど、板があるわけではない。この前光を入れてもらった時に確認した。
進もう。おじさんに見つけてもらえるようになったら、帰ってこよう。
そうしたら一度ぐらいは謝ってね。ボク、悲しかったんだよ。それから抱きしめて、頭を撫でてほしいな。
だから待っててね、おじさん。失敗作じゃなくなって帰ってくるからね。
道のない道を歩き始めた。進んでいる感覚もないし足音だってしないけど、まっすぐ進んだ。
道の向こうに小さな明かりを見つけて、直前で立ち止まる。
目の前に扉があった。
白い透明な扉。向こうには光が見える。久しぶりに見た、光。
この扉、さわれるのかな。
ボクは板に触れなかったし、おじさんにも見てもらえなかった。
せっかく決意したのに先に進めないのかと不安になって、ゆっくり手を伸ばした。
ドアノブが、確かにボクに触れた。
よかった。いける。ボクは、失敗作をやめるんだ。
ドアノブを回して、ボクは、暗い世界から出ていった。
つもりだった。
外の世界で、おじさんがどうしてボクに気づかなかったのかわかった。
ボクは、人とは違う空間にいる。ボクにみんなと同じ光は当たっていない。
外の世界の人たちもボクに気づかなかった。人にボクがどういう風に見えているのかきこうとしても、その人の腕を取ることさえできなかった。叫んでも泣いてもわめいても、誰にも、見向きもされなかった。
周りの人が冷たいだけだと、最初は思った。だから優しそうなおねえさんについていったし、客商売をしているおじさんの前に立ったりもした。
エンゲージの間につ立っても痛くもかゆくもない。シールを出すときの風で髪がなびくこともない。愛を誓い合う二人の間に入っても、迷惑がらずに永遠の愛を誓っていた。
なんだこれ。
周りの人たちはどうやって人と同じ空間に入ったんだろう。
これはわかってる。おじさんがボクにくれた頭に入っている一般常識には、そんな方法はなかった。
当たり前なんだ。みんなあそこで生まれて、あそこで生きてるんだ。
なんだそれ。
じゃあ、どうしたらおじさんに見つけてもらえるの。
ボクには、わからなかった。
ボクはボクにしか触れられない。
足音がしない道を歩いていると思っていたけど、ボクは地面の少し上を、浮いているらしかった。こんな状態で自力で何かをするというのは、とても難しい。
ひとまず、ボクを見ることができる人を見つける必要がある。町で一番人が集まって、町で一番人の目につくところを探して、見つけた。
時計塔だ。
塔自体が高いから待ち合わせ場所にはちょうどいいみたいだし、塔の周辺にはお店もたくさんある。人通りが多い場所なら、ボクを見つけてくれる人を探しやすいはずだ。
時計塔の下に腰掛けたボクの上に、他の人たちが座ってしまった。熱も感触も感じなかった。寂しさだけを感じた。
大丈夫だ。いつか気づいてもらえるから。
太陽がまぶしい。思わず上を見ると青空が広がっている。その中に輝く太陽の光は、知識と違って暑くはならない。まぶしいだけ。
何日かして気づいたら、ボクはカードを持っていた。真っ白い、何も書かれていないカード。周りの人がシールといっているカードだ。もしかしたら生まれた時から持っていたのかもしれない。ボクに触れるものなんてないのだから。
それでも、ボクは今これを手に入れたということにしておいた。その方が希望が持てる。このシールみたいに、誰かがボクを見つけてくれる。
時が流れた。
ボクを見つけれる人探しは、なかなかうまくいかない。手持ち無沙汰で、周囲の様子を眺める日々。
泣いている子どもが駄々をこねているのを見た。
ハテナをおこしている人が、そんなことには気付かず浮かれているのを見た。
両親に抱えられている子供が、時計塔を走り回れるようになるのを見た。その人は少し前まで友達と遊んでいたのに、いつしか女の子を連れてくるようになっていた。
ここは、僕のお気に入りの場所なんだよ。と笑っている。
そうだと思う。ボクは彼が赤ん坊の頃から、両親と来ていることを知っている。時計塔をお気に入りの場所だなんて変わった子どもだと思う。もうちょっとロマンのある場所とか、一緒に遊べそうな場所に連れて行けばいいのに。
赤ん坊だった子どもは、彼の子どもを連れてくるようになった。子どもは青年になっていた。
青年の子どもは走り回るようになり、父親と一緒に毎日時計塔の周りを見て歩いた。気づけば彼も大人になり、父親は時計塔に来なくなった。
数十年でここに飽きてしまったのかと思っていたら、体が悪くなっていたらしい。彼の子どもが友人の前で、悲しそうに笑うのを見た。
そのあとあの人間がどうなったのか、ボクは知らない。
彼の子どもを、そのまた子どもを、ボクはずっと見ていた。彼だけじゃない。時計塔に訪れる人間の様子を、人間が物語を読むみたいに、ぼんやり見ていた。感情は入らなかった。することがないから、時間つぶしに見ていた。
うつむくと、ボクは造られた日と変わらない姿で立っている。
ボクを見ることができる人間は、一度も現れなかった。
未来への期待とか、根拠のない自信は色あせて、削げ落ちていった。誰もボクは見えない。色のない世界に一人立っている。
いっそのこと、誰もボクを見ることができないのなら、ボクからも誰も見えなくなったらいいのに。
『誰でもいいからボクを見つけて欲しい』は夢物語だと、とっくの昔に気づいている。それでもすることがなくて、惰性で誰かを待っていた。
ボクは周囲を見回した。人通りが少ない。原因はわかっていた。
雨が降っている。
朝からだ。そのせいか時計塔に足を運ぶ人間は少なく、時間潰しになる人間もいない。空が曇ると時間の経過も判断しづらい。遠くも見えにくいし、いいことなしだ。
空が一層暗くなり夜が近づいてきた頃、人影を見つけた。
いかにも落ち込んでいますといった体で歩みを進めるその人間は、時計塔の周りに店を構えている人間から傘を買おうとしているようだった。店主は、雨が降っていてよくきこえないけど、おそらくみすぼらしく濡れた人間を見て、入店を断ったようだ。何か書かれたプレートを前に出している。人間は肩を落として、歩きはじめた。
あの人間のことは何度か見ている。
よく時計塔を見ていた。小さい人間をつれていることもあったし、一人のことも多かった。最近はほとんど一人だったかもしれない。とにかく頻繁にここを通っていた。
人間は、急に顔を上げた。あたりをせわしなく見渡し、ボク、の後ろの時計を見る。
またか、何であんなに時計塔ばっかり見るんだ。
考える仕草をしてから、まっすぐ歩いてくる。時計塔のてっぺんは傘になっているわけじゃないから、雨宿りはできないだろうに。待ち合わせでもしているのか、こんな天気に。こんな場所で、こんな格好で。それはない。ありえない。迷子とか、家に帰れないのか。ボクが知っている限りでは、彼は木の中に来てそこそこ経っているはずなのに。はっきりしない。もう一人会話する相手がいればこの人間の状況がわかりやすいけど、あいにくこいつは一人だった。
「やあ、はじめまして」
何もない場所に向かって、そいつは声を張った。ボクの目の前、時計塔に話しかけているみたいだ。
後ろを振り返る。何もいない。
「きみだよ、時計塔の前にいつも座っている」
まるでボクに声をかけているみたいだ。体の奥から冷えていくのを感じて、あとずさる。
気味が悪い。
何もないところに話しかけて、返事を待っているなんて。
「風邪をひくよ。いつもここにいるよね。誰か待っているのかい」
返事が返ってくることを期待しているらしい人間は、早口に質問を投げた。
誰もいないだろ。早くどこかにいけよ。
「きみ、よく見たら濡れていないね。すごいや」
心臓が、大きく鳴った。
いつも時計塔にいて、雨に濡れずにいて、それに、こいつの目線。
時計塔を見ていなかった。この人間から見てやや下。
つまり、ボクの方をまっすぐに見ている。
ボクを見おろすような視線で、やたら近い距離で、よく分からない褒め方をしてこっちを見ている。
身体中が冷えた。もちろん雨のせいじゃない。こいつだ。この人間のせいだ。
ボクは逃げた。この町にきてはじめて、生まれてはじめて走って、逃げた。
人間は追いかけてはこなかった。
次の日も雨だった。時計塔にゆっくり戻って、周囲を見渡す。
誰もいない。あの人間はいない。
定位置に座る。恐ろしい体験をした。
夢だったのか。月がボクの夢物語を叶えたのか。ボクをずっと見ていたという記憶をあいつに植え付けて、時計塔の近くに放ったんだ。なんとも粋な叶え方。最悪。
いや、最悪なのは、ボクもだ。
ボクは、自分のみっともなさを自覚してしまった。
ずっと誰かに見つけて欲しいと思っていたのに、ボクは人と喋ったことがない。いざしゃべる機会を手に入れても、逃げるしかできなかった。人間を遠くから見て、客観的に見下ろして、上から目線で笑っていたのに、なんて情けないんだ。
またあいつに見つかったらどうしよう。これ以上ボクはボク自身に醜態をさらしたくない。話しかけられてこわくなって逃げるだなんて、もう経験したくない。
そう思っているのに。視界に入ったものを見て、ボクの感情はかき乱された。開いた口が塞がらなくなった。
あいつだ。
また来た。昨日と同じ方向から歩いてきた。まっすぐに、少ない人通りの中を、傘をさして、もう片手に傘を持って、向かってきた。
「やあ、またあったね」
またあったね、じゃない。今こいつはボクめがけてしっかり歩いてきた。あったんじゃない。きたんだ。
「風邪、ひかなかったみたいだね。安心したよ」
ボクは安心できない。
どうしよう。走って逃げるのはもう嫌だ。これ以上しょうもないボクを知りたくない。
人間はしゃべるか逃げるかしかできないんだっけ。思い出せ。ずっと前、目の前で破局していた二人は、どうしてたっけ。
「きみが雨に濡れないのはわかったけど、やっぱり形式として傘は差した方がいいからさ、ほら」
思い出した、拒絶の方法。そうだ。本当にこいつにボクが見えているのなら、多分いける。
人間が傘を前に出したことを確認して、彼の持っている傘の、持ち手の上を軽く払った。
ただ、ボクの手は、傘には当たらなかった。傘を通り抜けて人間に触れた時、ボクは、感じた。
体温。
眩しいだけで熱を送ってくれなかった太陽とは違う、微弱な人間の熱を、はっきりと感じた。
本当に。本当にこいつにはボクが見えている。触ろうと思えば触れるし、話しかけたら返事をする。
多分。おそらく。でも、間違いなく。
現に今、触れた。
驚いて傘を手放した人間は、濡れた地面の上に転がったそれを拾い直している。
ボクだ。ボクが人間の手を払ったから。
悪いことをしたのかもしれない。
「ごめん」
拒絶する気持ちを、態度で示したはずなのに、どうしてボクは謝っているんだ。行動と態度と発言に、一貫性を持たせなきゃ変じゃないか。人間はみんなそうしているのに。
なんとか絞り出した言葉に、人間は顔を上げた。
「平気さ。謝ることはないよ。当然だ」
そんなはずはない。当然でもない。好意を無下にされることが当然だなんておかしい。傘が人間に当たっていたら、怪我をしていたかもしれないのに。どうしてもっと責めてこない。でも。
返事が返ってきた。ボクの声をきいた人間が、今目の前にいる。
ボクの中で人間が怪我をしていたかもしれない申し訳なさよりも、ボクの言葉に返事をした驚きの方が勝った。最悪だ。
「そうだ。そういえばどこかで会ったこと、ある?」
ない。
昨日はじめましてと声をかけてきたのに、なんだこいつ。
「そうか、それはまあいいんだ。おれがいいたいのはつまりだね」
ボクの沈黙を、彼は否定ととったらしい。
「きみ、人を待っているんだろ。毎日ここにいるのを知っていたんだ。知っていて、見ないふりをしていたんだ」
つまり、といったのに、人間はもったいぶった調子で喋り続ける。この人間にも一貫性はない。
「昨日きみを見て、その選択が間違いだったと思って。もしよかったら、手伝わせてよ」
その必要はない。もう、ボクの人探しは終わっている。
おまえだ。人間が三つか四つ世代を変えるまで見つけることができなかった、ボクを見ることができる人間。気味が悪いと思ったけど、だからこそ、今まで見てきた人間とは何かが違うということにもなる、はず。
こいつはどこからふってわいた。そんな人間、今までいなかったのに。
「すぐに来るから。いい」
迎えに来る人間なんていない、こいつ以外にボクを見ることができる人間はいない。それでも、とっさに口に出た言葉だった。
会話、難しいな。こんなことを当たり前にしているのか。
「きみが人と話したり歩いたりしているところを、見たことがないよ」
ボクもそんなこと、したことないよ。でももう、さっきの言葉に一貫性を持たせるために拒絶し続けるしかない。
「あんたの偽善に付き合わせないで。ボクは関係ない」
「おれはきみのためにもなるって信じているよ、だってきみ」
心臓の音がはっきり聞こえた。暑いのだか寒いのだか、よく分からない。今までこんなことはなかったのに。
「他の人には見えてないんだろ」
視界が白くなった。こいつ、意外と状況が見えている。
他の人間にボクが見えていないことを知りながら近づいてきた。ボクの行動に腹を立てないのは、自分の方が立場が上だと自覚しているからか。
でも、一つわからないことがある。ボクを見ることができる人間が世界に自分しかいないと知りながら、どうして人探しを手伝うって言い回しをするんだ。
人探しは終わっている。する必要がない。
「誰を探すつもり」
「だから、きみが待っている人だろ」
なんだこいつ。
自然と自分の表情が険しくなるのを感じた。人間も意思の疎通が図れていないことに気づいたようで、首をひねる。
ボクもこいつもお互いに、認識しきれていない所があるらしい。
「それで、きみの探している人の特徴は?」
長ったらしい、信じがたい説明をした彼は、勘違いをしているようだった。ボクに訂正する気はない。
この人間の説明によると、こいつは普通の人には見ることのできないものが見え、それらの言葉がきこえているという。基本的にそれらとは深く関わりを持たないらしいが。
彼にしか見えない生物の中には、人間がいう幽霊のようなものや、元は人間だったが人が生活する次元と層がずれてしまった場所、つまり今ボクがいるような場所に迷い込んでしまった人間もいるという。中には別次元で日常を謳歌している奴もいるのだとか。
なぜそんなものが見えるようになったのか理由をきいたら、人でなしだからだそうだ。なんなんだ。
傘をさして座り、律儀にボクの分も差し出した人間は、街の人間からしてみるととてもおかしいことをしている。一人で二本の傘を持ちながら、傘を傾けているのだから。
ただ、何もいない場所を見て一人でしゃべり続けるこの人間を見る人影は、ない。雨は止んでいない。
この人間は、誰にも見つけてもらえなくなった可哀想なボクの、人探しを手伝うといっている。
もちろんそんなボクはいない。ボクは後天的に見つけてもらえなくなったわけじゃない。生まれつきだ。
こいつの話は胡散臭い。ボクを見ているという大前提がなかったら、とてもじゃないけど信じていない。
もとよりこいつの話した内容なんて何でもいいんだ。ボクを見つけた事実だけあれば。
こいつはボクの希望。そんなものとうの昔になくしていたはずだけど。
こいつに全部話して信じられないといわれたら、外に出すなんて出来ないといわれたら、そんなことは不可能だといわれたら、希望を奪われたら。
ボクはもう惰性さえ送れそうにない。
「ボクはその人にあったことがないの」
適当に話を合わせて、飽きてもらうのを待つことにした。適当に人を探して、やっぱり見つからないねと会話をして、人探しに飽きた人間はフェードアウト。期待しないようにして、こいつの方から離れてもらおう。
いつか今日のことを思い返したときに、もしかしたらあの時外に出られていたかもと、夢が残る方がいい。
「見た目の心当たりとかは」
見つかる可能性なんてない人探しに、やけに協力的だった。もはや誰にも誰を探せばいいのかわからないのに。少しでも手がかりになるものはないか尋ねてくる。
「ない」
「小さい頃に会っていて、ぼんやり特徴を覚えているとか」
「ない」
「夢の中にも?」
「ない」
夢の中であった人間を待ってるなんておかしいだろ。なんの手がかりなんだ。
「心に浮かぶ風景とか」
ある。
「ボクには見えない何かを見て怒るおじさん」
「だれだい、それ」
しまった。頭の中が真っ白になった。
即座に返事をすることを意識していたら、思わず口に出してしまった。
人間は続く言葉を待っている。
心に浮かんだ風景は、あのおじさんの事だ。
あんな話、しても信じられないだろう。どう切り抜けようか。
話し出すことを渋るボクをどう思ったのかわからないけど、身をかがめてボクと目線を合わせてきた。大人が子どもにするみたいな動作に釈然としないものを感じたけど、そうじゃない。
これは話をきく気持ちがある人間の行動だ。
希望でできた人間が、ボクが話し出すのを待っている。
ボクはさっき、はっきり決めた。希望が砕けない方がいいから、飽きてもらうのを待とうと自分で決めた。
でもこいつの態度を見て、心が揺らいだ。
もうやめよう。でもも、こうなるかもしれないも、こうだからああだからしょうがないからできないからも、今やめよう。自分から何かするようにしよう。
ボクにだってボクの立場がよくわかっていないのに、見つけて欲しいとか見えるようにして欲しいとか他人に全部叶えてもらおうなんて、最初から無理だったんだ。そんな希望、あってもなくてもおんなじだ。
次の段階に進む。今がその一歩目。
話し出すのには少し、勇気が必要だった。うまく言葉がまとまらないし、こいつに伝わるように話せる自信もない。
でも、しゃべらないのはみっともない。意気地がないなんて、いつかボクが遠目で見て笑った人間と同じだ。
ボクはこれ以上しょうもなくなりたくない。
「信じられないかもしれない、んですけど」
勢いづいたつもりだったけど、予防線だけはきっちり張ってしまった。
「ボクは人間に造られたんです」
第一声に、一番信じてもらえないだろうなと思う言葉をもってきたけど、彼は何もいわずに頷いた。ボクがしゃべり終えるまで黙ってきくつもりらしい。ボクの話をどう感じるのかわかりにくくて、胸の奥が小さくなった気がした。
「でもボクのことが見えないから、うまく造れなかったと思ったみたいで」
口に出してみたら、当たり前だと思っていた前提がおかしく思えてきた。
どうしてあの人は、ボクをこんな半端な状態で造ったんだろう。
あの人があの時消したのは、やっぱりボクに関わる何かだったのかもしれない。ボクが不完全だから見えないふりをして、なかったことにしたんだ。本当は見えていたんだ。
つまり、ボクはいらなかったんだ。ボクは、いらないのに造られたんだ。でも、ボクは悪くない。悪いやつがいるなら、あのおじさんだ。
あいつだ。
ボクを半端な形で造った。ボクを見つけてくれなかった。ボクを失敗したといった。
何でそんな奴のところに帰りたいなんて思ってたんだろう。もし戻るにしても、その時は問いただしてやる。思い切り、暴力を振るってやる。気が収まるまで、何度も何度も力の限り。あいつが大事にしていた、必死に見ていたよくわからない何かも、ボクから光を奪う言葉を放った人間も、そいつの大事なものも、全部壊すんだ。
苛立ちとか、笑われたらどうしてやろうみたいな不安とか、昔はよく胸の中に居座っていたよく分からない感情も合わせて、一つになっていく。いろいろ混ざって真っ黒になった体の真ん中が気持ち悪い。
ボクは、ボクは、ボクは。喉の奥から溢れ出てくる何かをせき止めたいのに。
「ボクのこと、いらなかったのかなあ」
もうただのひとりごとだった。
胃のあたりがムカムカして、頭の中が真っ赤に熱くなった。視界がぼんやりしてきて、目の前にいるはずの人間が、はっきり見えなくなる。このまま何も見えなくなるんじゃないかと思って目をこすったら、手に何かが触れた。濡れていて冷たかったけど、それ以上に暖かい。それと同じ熱がボクの頭をゆっくりすべる。
「アビエスがきみを隠したんだ。大切で誰にも取られたくないから、大事にしまったんだよ」
歯の浮くようなしらける言葉なはずなのに、客観的にきいていたら笑いを堪えきれない言葉なはずなのに、真っ黒になった真ん中に触れた。
アビエス、いつからか人間が口にしなくなった世界の名前だと、現実逃避するみたいに、ぼんやり思い出した。
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