ストーリー
白い廊下をまっすぐに進む。途中で開けた場所に出ると、女性に声をかけられ、足を止める。カウンター越しに手招きされた。
「704号のリアさんに、お見舞い」
きかれる内容は分かっていた。相手の言葉を待つより先に用件を伝えると、彼女は不機嫌そうに、どうぞと許可をくれた。
仕事だからしょうがないかもしれないけど、毎度同じやり取りを繰り返すことに意味はないだろ。悪く思わないでくれ。
目当てのプレート番号を見つけて、扉を叩く。向こうから、どうぞと声がした。
「アトレイくん」
扉を滑らせると同時に、部屋の主に名前を呼ばれた。
彼女は布団の中にぬいぐるみを寝かして、ひさしぶりだねと微笑む。
はじめてこの笑顔を見た時、無性に腹が立ったことを覚えている。理由はわからなかった。見当をつけることさえしていない。
真っ白い壁。やや黒ずんでいるものの、やはり白い床。窓の向こうには、青。快晴だ。
今日もこの人は、白い部屋から色のついた世界を見ているだけ。
彼女は、空っぽだ。真っ白で、作り物じみている。
静かに息を吐く。
片手を上げるだけの挨拶をし、部屋の隅に置いてあった小さなテーブルをベッドの近くまで引っ張ってきた。その上に、持ってきた箱を置く。
「リアさん。ルルにシールやるなら俺にくれって」
「だーめ」
リアさんは、歯を見せていたずらっぽく笑った。交渉するだけ無駄なのだと、理解する。
理解はするが、納得はしていない。
「ルルに渡したらアトレイくん、ルルの力になってくれるでしょ。そうしたら、ルルもアトレイくんもうれしくなるから」
右手の指を二本立てて、彼女はいった。うれしくなる人の人数を示しているらしい。
物欲からの関係がいいものだと思っているなら、おめでたい人だと思う。心の底から。
「俺は、タダでシールもらえた方が嬉しいんだけど」
俺も一本指を立てて、彼女の立てた指を突いた。一本下ろすように示したのだが、彼女は新しい指を一本立てる。
「でもわたしも、今の方がうれしくなれるよ。アトレイくん、用事ないと来てくれないもん」
三本と一本。三対一、厳密には二対一だ。リアさんの立てている一本は俺なんだから。
しかしどちらにせよ、俺は負けたらしい。
丸めていた指を解き、降参のポーズをして見せる。
「毎日来てるルルが異常なだけだろ。俺は来てる方だと思う」
「そうかな」
「そうだよ」
リアさんは考え込むように腕を組んで、唸った。今までの俺の見舞い回数を詳細に割り出す気らしく、そのままフリーズしてしまった。
これは、まずい。
思い返してみたけど、やっぱり来てないよ、などといわれては困る。
持ってきたドーナツの箱に手を伸ばし、うつむいて考え込んでいるリアさんの肩を、反対の手でゆすった。
顔を上げたリアさんの眼前で箱を揺らす。
「持ってきたんだけど、食う?」
「食べる!」
彼女は真剣そのものだった表情をゆるめ、無邪気そうな笑顔を見せた。ドーナツの箱に視線を注いで、うれしいな、ドーナツ好きなの、などと社交辞令をいっている。
箱を開けてやると、ご機嫌な様子で選び始めるかと思ったが、そうでもなかった。
リアさんと視線があった。
俺に先に選ぶように促している、そんな目だ。
「遠慮するなって。選びなよ」
「でも、アトレイくんが買ってきたんだよ」
いいや、ルルに買わせたんだよ。ヘルメット男の話を聞く代わりに、何か奢れってな。
「お見舞いの品を遠慮されると、好きじゃなかったのかって不安になるなあ」
ドーナツの箱を持ち上げて、そのまま立ち上がった。リアさんはベッドに座っているから、箱を取ることができない。
彼女は慌てたようだ。空みたいな青い目に、動揺を浮かべながら手を伸ばしてきた。
「好きだよ、本当に」
彼女の目線は殊勝な飼い犬のように、ドーナツの箱を追いかけていく。ドーナツの箱を抱えて左右に振る行為が馬鹿らしくなってきて、箱を下ろし、中を開いて見せる。彼女は顔をあげて、笑った。
「ありがとう。じゃあ、先に選ばせてもらうね」
「よろしい」
遠慮がちに中を覗き込んで、色とりどりのドーナツを見つめる彼女をぼんやり視界に入れながら、数を用意しすぎたことに気が付いた。
リアさんのいう通り、俺は、あまりここに足を運んでいないらしい。認めざるを得ない。
太陽の光が町に降り注いでいる。この場所が熱気に包まれているのは、太陽だけのせいではないだろうけど。
いつも通り持たさせたボトルを隣に置いて、ボクは、時計塔の下で待ち人を待っていた。
世間話に花を咲かせるおねえさん、エンゲージの相手を探すおにいさん、冷たい食べ物を売るために声を張るおじさん。
いつもここは賑わっている。手持ち無沙汰ではあるけど、街ゆく人々を眺めて人を待つこの時間が、ボクは嫌いではない。
通行人の中にはお節介な人もいて、いつもここにいるよね、とか、迷子なの、とか、話しかけてきて、世話を焼いてくれる。
そんな人に話し相手になってもらうと、時間が経つのはあっという間だ。
今も、ボクに向かってまっすぐに歩いてくるおねえさんがいる。あの人には見覚えがある。
数日前、ボクがここにいた時に見た。セルに食器を持っていろといわれた日、彼らと一緒にいた。
後ろにはおにいさんが二人と、その後ろでおねえさん方が列になっている。
おにいさんのうちの一人は、白衣を着ていた。ボクの推論が間違いでなければ、彼は……。
「わたくしのこと、わかりますか」
白衣のおにいさんに近づこうと立ち上がる前に、近づいてきていたおねえさんに声をかけられた。
顔を上げる。
なんて第一声だ。この人、ボクが覚えてなかったら怪しい人だって指差されたって、文句いえないぞ。
嘘ついて知らんふりしてみようとも思ったけど、瞳の中が不安そうに揺れている。緊張してるみたいだからやめておこう。
「もちろん、覚えています。セルとジャスミンの友だち、ですよね」
おねえさんは、破顔した。そうです、そうなんですわとなんども頷く。
覚えられてないかも、とは思ってたのか。ボクが緊張しながら相手に覚えられてるか確認するなら、周囲をウロウロして声をかけられるのを待つだろうな。
そんな相手いないけど。
おねえさんはボクの返答が本当に嬉しかったらしい。緊張からあからさまに変わった様子が、子供っぽくて可愛い。
「ボク、人を待っていて暇なんです。よければお話しませんか」
それとも、友だちと一緒のようですから、ダメでしょうか。
後ろにいたおにいさんたちに視線を向けながら付け足すと、お姉さんは小声で否定の言葉を呟きながら、おにいさんたちの方に走って行った。
程なくして、帰ってくる。おにいさんたちは時計塔の近くの店に入って行った。
どうやら説得したらしい。
「わたくしも、おしゃべり、したいです」
「本当ですか、うれしいです」
ボクの方から誘っておいてなんだけど、本当のところをいうと、おねえさんの連れの白衣のおにいさんと喋ってみたかった。
が、おねえさんと違っておにいさんの方はボクに興味がないようだし、友だちの友だち、という接点から始めてみるのが近道だと思う。
それに、単純に人間として会話するならおねえさんの方が好みな感じ。つまり、要領が悪そうなタイプだ。
いつからかボクは、こういう人を好ましく思うようになってしまったらしい。
隣に座るよう、時計塔を囲っている石段を軽く叩いた。
いそいそと隣に座ったおねえさんを見上げると、はにかんでいる。
喜んでいるようだ。セルといいジャスミンといい、このおねえさんといい、最近知り合う人は皆、考えていることがわかりやすい。
あいつは別だけど。ラズラと一緒にいた、赤い目の男。
「ボク、ストックといいます。どうぞよろしく」
「サリネですわ。ストックちゃん」
名乗った後、彼女は挙動不審に周囲を見渡した。話題になるものを探しているようだ。
「暑いですわ、ここ。ずっと待っているのですか」
「ええまあ」
曖昧に言葉を濁す。待ってる人が来ないから、という言い方をすると彼が悪いみたいだ。
ボクがここで、好きで待っている。もの好きなんだ。
彼は大体数時間で帰ってくるけど、日が沈んでも迎えに来ないこともある。何時間かかったって迎えにさえきてくれれば、ボクは構わない。
一昨日、夜中まで迎えに来ない日があった。施設に寄っていたらしい。ハテナの巨人が、施設に向かって行っていたのも見た。彼が消滅させたとは思えないけど、騒動に巻き込まれたことは知っているし、ラズラに会いに行ったのなら、別れを惜しむのも無理はない。
こうやって思い返してみると、ボクあの日苛立っていたのか。理由をつけて、いちいち説明を繰り返して、自分を納得させようとしているような気がしてならない。
腹が立つ理由もわかってる。迎えが遅いことは、まだいい。
一緒にいる時間が減るのが嫌なんだ。
「水を持ってますが、いりますか」
会話を始めて早々、せっかく彼女が用意した話題を切ってしまったことに気がついた。かわいそうだ。
「ストックちゃんが飲むべきです。あ、待ってください」
ボクにとっては食べ物も飲み物も嗜好品でしかないけど、彼女も、周りの人も、それを知らない。
当然だ。誰にもいってないのだから。
サリネが、スカートの内ポケットから小さな袋を取り出した。
「冷たいものではありませんが、甘いのですよ」
飴だった。ボクはこういうのに喜ぶ年頃なのだ。よく渡されるし。
「甘いの好きです。いただきますね」
袋を受け取って、封を切る。中身の丸い玉を口に入れると、赤色が広がった。いちご味だ。
「うん、おいしいです」
サリネが照れたように笑う。かわいい。
飴が口の中で転がっている間は、水を飲まなくてもいいだろう。サリネはいいものをくれた。
「サリネは、友だちと買い物ですか」
「いえ、わたくしたちは、人を探していて」
「大変ですね。ボク、ずっとここに座っているので、特徴を教えてもらえたら、心当たる人がいるかもしれません」
サリネが両手を降って、違うんです、というジェスチャーをする。
「特定の人ではなくて、悩みがある人を探しているんですわ」
悩みか。そんな人、いくらでもいそうだけど。見ず知らずの人間に相談する人は、少ないかもしれない。
「お仕事ですか。お悩み相談室、みたいな」
金が支給される世の中にも、自分で働いて稼ぎたい、とか、渡される額が少ないという人はいる。今視界の端でアイスを売っているおじさんも、その口だと思う。サリネもそういうタイプかな、労働とか嫌いそうに見えるけど。
「仕事でも、ないのです。人の願いを叶える団体に入ったのです」
「さっき一緒にいた友だちと、ですか」
「彼らと、わたくしの、三人の団体なのですわ」
「それは」
変わり者ですね。
「素敵な団体ですね。この町にあっているように思います」
サリネは、今までの笑顔より幾分元気そうに、笑った。誇らしいのかな。
「そのグループにいる方には、悩みはないんですか」
「ありますわ。でも、いえないんですの」
これは、サリネは悩みがあるけど、ということだろう。その団体全体の悩み、という言い方じゃない。
たしかに、気心が知れる相手に相談に乗ってもらうというのは気恥ずかしいかもしれない。
「立て込んだ内容ですか?悩んでる人を探して歩いてるぐらいなら、喜んで力を貸してくれそうですけど」
「違うんですわ。悩み事団体のうちの一人に対して、悩みがあるんです。夢中になることを見つけて欲しくて」
おにいさん、無趣味なのかな。どっちのおにいさんの話してるんだろ。
「ストックちゃん、ジャスミンさんやセルと友だちなんですの」
「そうですね。そんな感じだと思いますよ」
友だちっていうか、知り合いの方が正しい表現な気がするけど、人懐っこい人ならこの段階で友だちだというかもしれない。
「お二人に、謝りたいことがあるのですが、あの二人にはバレないように行きたいんですの」
あの二人、おにいさんたちの方に視線を向けたけど、二人は女の子に囲まれて見えなくなっている。
「今、ジャスミンさんがどこにいるかご存じですか」
「いや、見当がつかないですね。家の場所くらいなら、わかりますけど」
そうですか、という言葉を尻すぼみにつぶやいて、彼女は目に見えて落ち込んでしまった。
そんな様子を見せられては、どうにかしてあげたくなる。希望を抱かせて突き落としてしまった、ボクとしては。
「今から、行ってみますか。家にいるかもしれません」
「でも、ストックちゃんは人を待っているのでしょう」
サリネはボクがいつもここにいるとは知らない。初めて会った時も今日も、たまたまいるものだと思っているらしい。それはそうだと思う。それに、行くだけ行って家主不在では、二度手間になるのも確かだ。
サリネがあのおにいさんたちに何といって待ってもらっているのかはわからないけど、このまま彼女を連れて行ってしまうのは良くないだろうし。
ボクは、一つ咳払いをした。
「そうですね。ボクもあなたも、今日は都合が悪いみたいです。おにいさんたちを待たせていますしね。今日は」
今日は、という言葉を強調していうと、サリネもおうむ返しに繰り返して、首をかしげる。
「今度、また会いませんか。ジャスミンに家にいる時間をきいておくので、二人で会いに行きましょう」
ボクの眼の前で、花が咲いた。満開の笑顔。嬉しそう。
「はい!ぜひ。楽しみですわ。きちんと謝れるように、練習しておきますから」
謝罪の練習か。人形に向かって地面に頭を擦り付ける姿を、思い浮かべる。似合ってない。
いや、多分こんな謝り方はしないな。
「ボク、頻繁にここにいるので、一人で行動できる時がわかったら来てください。その時間を彼女に伝えますから」
「ええ、わかりましたわ。約束します」
サリネは何度も頷いた。うつむきがちに、顔を赤らめて約束、とつぶやく。
「友だちみたいですわ」
「それは、違いますね」
サリネの独り言に、横やりを入れた。彼女の肩が動揺で揺れる。
表情をめまぐるしく変えていくサリネは、先ほどとは打って変わって、沈んだ表情を見せた。口を開けて、パクパクと動かしている。言葉にならない言葉が、口の端に漏れていく。
どうして、とききたいけど、距離を広げられるのが怖い、そんな感じ。
「ボクたちはもう友だちですから、みたいではありません」
言葉の真意を伝えると、うるんでいく彼女の目の端から、涙がこぼれた。泣かせてしまった。
もしかしてこの人、泣き虫さんじゃないか。
からかいすぎた、というわけでもないのに。どちらかといえば、ものすごく甘やかしたつもりだったけど、失敗だった。
「泣かないでください。そんなに傷つくとは、思ってなくて」
「いえ、大丈夫ですわ。傷ついたわけではないんですのよ」
なんとかして泣きやませようと思って、でもできることもなかったから、寄り添って彼女の顔を見つめた。泣くことでみるみる赤くなっていく。
「リンゴみたいですね」
からかうと、恥ずかしいといわんばかりに両手で隠されてしまった。
「わたくし、そろそろ帰りますわ」
拗ねてしまったのか、急な切り上げだ。涙が出ると止まらないのかな。今度からは刺激の強そうなことはいわないほうがいいかもしれない。
今日だって、そんなこといった覚えはないけど。
「サリネ、また来てくれますか」
「もちろん、来ます。また会いに来ますわ」
離れていくサリネに手を振って見送ると、彼女は振り返った。止まらない涙を流しながら、力強く手を振り返してくれた。ボクも小さく手をふり返す。
サリネがおにいさんを取り囲む女の子の中に入って行ったことを確認してから、周囲の人影がまばらになっていることに気づいた。
夕暮れ。
月が出始めたら願いが叶うかもしれないから、みんな家に帰るんだろう。家にいたってどこにいたって、願いが叶う時は叶うし、叶わない時は叶わないのに、人間は変なところまで気を配る。
セルだって森の中の一軒家にいながら、見事に願いを叶えてしまったし。
そういえばあいつがジャスミンにご飯におよばれした先を、まだきいていなかった。
ちょっとは仲良くなってると、ボクとしても応援のしがいがあるのだけど。多分当たり障りのないことしか話さなかっただろうな。なんとなくだけど、確信めいてそう思う。
一人になって空を見上げた。月が出てくるまでは、まだ時間があるみたいだ。
早く出てくればいいのに。なんのつもりで願いなんか叶えてるのか知らないけど。
ボクの願い、叶えられるものなら叶えてみろよ。
『 』
いつか、昔いわれた言葉が頭に浮かんだ。
そいえば、もう日が沈み始めているのに、迎えはまだ来ない。今日も何かあったのかもしれない。
ボクが探しに行くのも、たまにはいいかな。そう思ったけど、思いとは裏腹に、足は空中を蹴った。
違う。それは違う。
やっぱり迎えに行くのは変だ。ボクはここで待っていればいい。
渡されたボトルを、膝の上に置く。
ぬるくなったけど、ボトルの水は迎えにきた彼にあげるんだ。
もうすぐ迎えにくるから、絶対に、絶対だ。
すすむ