ストーリー
乾いた地面の上を小石が跳ねる。
小石は宙に浮き、地面に吸い寄せられるように着地したかと思えば、間もなくして再び舞い上がる。その中には、緑に染まりながらもどこか不健康そうな葉も混じっていた。彼らは自分を痛めつけている箒に文句も言えず、ただされるがままになって踊っている。なんてことはない、いつもの光景。ただの掃除。
目線を下に向けて箒を左右に振りながら、俺は、照りつける日差しと闘っていた。天からの光を受け取った葉をいたぶるように手を動かしても、このステージのボスである太陽にはなんの攻撃にもならない。少し離れた木造の建物に視線を向ける。じりじりと、まるでそんな建物は存在していないとでもいうように暑さで揺らいでいた。建物から少し離れたところを、高さのある柵が覆っている。俺は柵の中で、客人の訪れない庭をはき続けていた。
毎日毎日同じ事の繰り返し。朝起きて掃除して、ご飯をたべて掃除して、ゲームして寝る。淡々とした毎日を繰り返して早17年。季節は夏。
汗がこめかみを伝い、顎を通って地面に落ちる。のどが張り付いていた。失った水分を求めてないている。
箒で地面をなでる行為に不毛さを感じた。もうだめだ、なにかのみたい。
はいていた小石たちを片付ける事もせず、ちりとりを地面においたままにして歩き出した。
箒だけを持って先ほどの木造の建物にむかう。
緑のアーチにおおわれた小石のない道を歩く。熱を溜め込んだ大地の上を歩く暑さに耐えかねて、地面を踏みならして走った。生温い風がまとわりついてくる。が、歩いているときよりは幾分ましだ。風が吹き抜ける。
木々の間を抜け、建物を目前にして、俺は足を止めた。そうせざるをえなかった。
「なに、帰ってきてんだ。セル」
親父が、扉の前に立っていた。この暑い中俺に庭掃除を強要してくる、ラスボスだ。
「喉がかわいたんだ。水をのんだらまたもどる」
「掃除をすませてからにしろ。お前、そういってまた部屋にこもるんだろう」
相手の質問にきちんと答えたというのに、間髪いれず返されたその言葉にうんざりさせられた。たしかに、クリアこそしたものの、遊び足りないゲームの山が待っている。ただ今回は、本当に、純粋に喉がかわいただけなのに。この炎天下の地獄の中での労働がどれほど大変かわかっていないらしい。
たまに、本当にたまに、どうしても気分が乗らないとき、サボタージュして部屋に舞い戻り、空調機器によって快適な温度に調整された部屋の中で遊んでいたのが裏目にでてしまった。親父は俺を怠け者だと勘違いしている。
「ちりとりは置いてきている」
あれは魔が差した故の行動であり、普段は真面目に労働の汗を流している事を示すべく、言い返した。
しかし、このまま掃除にもどらされることも理解していた。親父はいつもの定型句を述べる。
「そんなこといって水飲むついでに休憩する、とかいうんだろ。うそばっかりついてると木の中に引きづり込まれんぞ」
木の中に引きづり込まれる。
この世の真ん中にある雄大すぎる木の中に取り込まれ、生きて帰って来られなくなるという昔からあるおとぎ話だ。悪い事をしていると夢の中で木の中からきこえる声に質問をされ、返答によってはとりこまれてしまうという。そのまま人がこつ然と姿を消してしまうのだそうだ。実際に木の入り口まで行って、さらに入ってみるもの好きもいるらしいが、誰もでてきていないらしい。
昔は怖かったこの話も、いまとなってはなんてことはない子どもだましだ。親父は俺がいつまでもこんな話を信じる愚かな少年だとでも思っているのか。
「その話は聞き飽きた、分からず屋め。仮にとりこまれたとしても、俺がいなくなって泣くのは親父なんだぞ」
「お前がいなくなったら盛大に祝うだろうよ」
いまに見ていろ。近いうちに泣かせてやる。ほうきをにぎりしめて忌々しい親父から逃げるように、掃除にもどった。
熱気を放っていた太陽は姿を消し、辺りは暗く沈んでいた。昼間とはちがう、太陽の日差しのせいではない、空気が湿ったような暑さの中、割り当てられた自室のドアノブをまわして扉を開ける。
昼に受けた屈辱とはまた別のことからくる怒りを胸に、乱暴に扉を閉めて机へと向かう。昨晩そこに置いておいた、両手で包み込める大きさしかない、小さめのゲーム機を手に取った。
「なにがだっつーの、だ」
電源をつけ、液晶に映し出された指示の通りに操作をして、セーブデータをひらく。
あのあと、親父の人をなめきった扱いへの怒りは掃除を終えても収まりきらず、年の近い兄貴に同意を求めるべく部屋を訪れた。
しかし予想とは裏腹に、そいつはよりにもよって親父の方に同調したのだ。
『お前本も読まず勉強もせず、ゲームしてばっかりじゃん。子ども扱いがちょうどいいんだっつーの』
ゲームのなにが悪いというのだ。室内にいながら世界中を仲間と共に冒険できる。すばらしいではないか。数年前まであいつも夢中になって遊んでいたというのに。これのよさがわからなくなるなら俺は大人にはなりたくない。
手の中にあるちいさな画面の中では、主人公が数人の仲間とともにモンスターを倒すべく、攻撃を繰り返している。なんの力もなくても、この小さな世界の中では俺が主人公で、世界の中心だ。何年も繰り返し遊び続けているゲームの主人公に憧れてつけたバンダナでは、現実での主人公にはなれないらしいが。
毎日の楽しみはこれだけだ。
ただ平凡に、淡々と過ぎていく現実とは違って、液晶内の世界は驚きと喜びに満ちている。
ぴこん、と音が鳴る。レベルが上がった。現実の俺のレベルは上がらないのに、と思いながらステータスの上昇を示す文章を流し見ていると、最後に見慣れない一文が添えられている事に気付いた。
『しんかんかくゲーム のおさそい』
なんだこれは。このゲームには通信等の要素はなく、古くてありがちなもののはずだ。もちろんこれは、侮辱ではない。最大の褒め言葉だ。
「ゲーム内のアイテムなのか…」
敵を倒したときにドロップアイテムが手に入る事はある。今まで見た事のない名前だが、貴重なアイテムかもしれない。
ボタンを押してバトル画面を終了し、効果を確認すべくメニューを開く。持ち物の一覧を選んで、一番下にあるアイテムの説明文をひらいた。
『きみに ふさわしいせかい がある』
その一文に胸が高鳴る。先ほどのいらだちも、いぶかしむ気持ちもなくなっていて、やりつくしたと思いながら遊び続けていたゲームにまだ知らないイベントがあったことに喜びを隠せなかった。隠す必要ないし。
アイテム『しんかんかくゲーム のおさそい』をえらんで、『つかう』のコマンドを選ぶ。どんな特殊なイベントなのだろうか。このイベントを知っている人は他にいるのだろうか。
「俺がはじめてだったりしてな」
そう呟いた時、画面が暗転した。電池が切れたのだろうか。いや、ちがう。電池なら一昨日入れ替えたばかりだ。
液晶が再び夢の世界を映す事を期待して、待つ。
画面を見続けていると気付かぬうちに、体が浮いたような、世界が回っているような、不思議な感覚に囚われていた。実際は世界は回りなどしていないし、もちろん浮いたりもしていない。それでも感じている、シーソーを何度もこぎ続けているときのような、空に飛んでいけそうな感覚のまま、知らぬ間にまぶたを閉じていた。
目をひらいて、映り込んできた光景にわが目を疑った。
暗くはない、まっしろでなにもない空間。天井も、床さえもない空間のなかに俺だけがいて、浮いていた。
これは親父のいたずらだろうか。あのあとそうじをしにもどったというのに、反抗した事に腹を立てて部屋の電気を切ったのか。ならなぜ床もないのだ。そもそも電気がなければ部屋は発光するのか、真っ白になるのか。親父は超能力者だったのか。初耳だ。
頭の中でぐるぐると考えが巡るが答えはでない。立つ事さえもできない空間に恐怖を感じながらも、どうしようもなく漂っていることしかできない。まるで異次元に迷い込んだようだった。
ふいに、目の前に広がる空間の中に一点の光がうまれた。光は大きくなって形を成す。人の形だった。
目の前にあらわれた光の人の様子に、目を凝らした。
人の形になった光はヘルメットをかぶっている。顔は見えないが、ヘルムは鼻より上しか覆っていないため口元は確認できた。体はマント状の全身を包む布に覆われている。背丈は俺と同じぐらいだが、ヘルメットから飛び出した髪は真っ白だから案外年は上なのかもしれないな、と思う。そこまで考えて、人の姿を観察していられる冷静さがあったことに驚いた。
ヘルメットをかぶった人物が口を開く。
『木のなかにくるんだ』
顔はみえないが、相手は男なようだ。
ヘルメット男の次の言葉を待ったが、口を閉じたまましゃべらなくなってしまった。
ゲームをしていたら何もない空間にあらわれたヘルム男が話かけてきた、なんて非現実じみているが、同時に『えらばれしもの』になったような運命性を感じる。夢の中なのかもしれないのだし、周りにはヘルム男以外の人などいないのだから、もう少しの間『えらばれしもの』になった気分を味わうくらいはいいかもしれない。
「木の中ってなんのことだ」
家のやつら以外と会話をするのははじめての事かもしれないと思うと緊張した。『えらばれしもの』ぶった、それなんです初耳です風な言葉を口にしてから体中の汗が吹き出るのを感じる。親父が家の外に出さないのがいけない。俺が他人と話すのに緊張する繊細な少年に育ったのは親父のせいだ。
こんなの全然『えらばれしもの』じゃない。かっこわるいぞ。一言喋っただけで、情けない事に涙がでてきて、目の縁にたまった。これも親父のせいだ。
『世界の真ん中にあるおおきな木だよ。その木の中にはいって。きみがこないとだめだったんだ』
その言葉に涙がひっこむ。
『きみがいないとだめ』は最高にクールな言葉だ。『えらばれしもの』っぽい。
「木の中に来いとはどういう…」
くわしい話をきこうとして、口を閉じる。言葉を続ける必要がなくなったためか、再び起こった信じられない光景にあっけにとられたせいか、自分でもわからなかったが、とにかく喋る必要はないと、理解したから。
ヘルメット男は、いなくなっていたのだ。そして、目の前には、頭が見えないほどおおきな木が、悠然と立ちふさがっている。
「どうなっているんだ…」
気付けば俺は芝生の上に膝をつく形で座り込んでいて、周囲は大木を取り囲むように、小さい木々がたっている。森のなかにいるらしい。
昼間俺を襲った暑さの諸悪の根源であった太陽は沈み、暗闇を月が照らしている。部屋にもどったのが日没後だったことを考えると時間はそれほど経っていないのか、真夜中か。とにかく人が外に出て活動するような時間帯ではないらしい。
周囲を見渡して目につくのは、雄大な巨木。世界中の生命力でも吸収したのではないかというほどに大きい。俺のいる位置からは、入り口と幹の一部しかみえないくらいに。
こんどこそ夢なのだろうか。明らかにおかしかった先ほどの空間とは違い、現世にいる感覚がある。
森の中にいるということは、家からそう離れた場所にきているわけではないのかもしれない。俺は外みたさに寝ぼけたまま玄関のドアをあけて徘徊していた。目が覚めて我に返った。そういうことにしておこう。
しかし目の前にある巨木の説明はできなかった。世界の中心にあるといわれているこの木と、俺の住んでいる家との距離は、夜中に徒歩で移動して埋められるようなものではないはずだ。
納得できる説明はこれしかない。先ほどたてたばかりの『寝たまま徘徊の案』を否定してしまうことになるが、これしかない。そう、つまり俺は魔法が使えるのだ。ワープするタイプの。今回は自覚がなかったからこんな失敗をしてしまったが、慣れれば好きな場所にひとっ飛び…
そこまで推理したところで、視界の端に映った茂みが揺れている事に気付いた。嫌な予感がする。がさがさという音はおおきくなり、物音の発生源が姿を現す。
そいつはひとことで形容する事はできない、奇妙な形をしていた。
まず、なにかの動物だとかではない。のっぺりとした、月の光を浴びて光る皮膚に覆われた体。カマキリのような大きな手を地面にうちつけて四足で立っている。ガラスのような目が大きな固まりの左右についていて、そこが頭なのだとわかる。なにかの線の束が関節部分からのぞいていて不気味だ。間違いなく生き物ではない。茂みからでてきた動きこそ動物のようだったが、どちらかというとロボットに近い見た目をしている。
そこまで見て、こいつの正体が何かわかってしまった。悲しい事に、悲しいほどに嫌な予感は的中してしまった。
こいつはゼロだ。
なぜなにも悪い事をしていない俺が、家からでてはいけないのかときかれれば、コイツが原因だった。
なぜ生まれ、何を目的に生きているのかもわからないゼロと呼ばれる生き物は、大昔に突然現れたといわれている。人を食べるらしく、性質もよくわかっていないがとにかく恐ろしい奴だと伝えられている。人の姿を見かけないかぎりはむやみに建物の中にはいったりすることはないため、人間は村単位で活動して、村より外にでることは危険だとされてきた。家の中でこいつらにみつからないように暮らさなければいけなかった。俺の住んでいる付近には村はなかったために身寄りのないものたちで集まり、役割を分担して生活している。定期的に来る行商人から珍しいものを買ったり、作物を育てる時以外はなるべく家から離れないようにしていた。庭の柵は超えてはいけないという決まりを守っていたため遭遇したことはなかったのだが。
ゼロはこちらをみつめているかのように、頭を俺にむけたまま動かさない。
このままこいつに殺されるのかもしれない。どうやって人間を殺すのかはわからないが、まともな情報が残されていないということは会ったが最後、遭遇者はほとんど殺されているという事でまちがいないだろう。
先ほどまでの夢の中にいたような感覚はどこかにふっとんでいた。嫌な汗が流れる。喉が渇く。心臓がどくどくと耳元にあるかのような音をたてて、手の先はしびれた感覚をもっていた。緊張していた。腹が締め付けられているかのような息苦しさを感じる。
死ぬのか。分けも分からぬうちに外に出て、誰にも知られずにこの世から消えるのか。
ゼロが近づいてきた。ああ、もうだめだ死んだ、と思った時、視界の端に木の幹が映った。ありふれた木の幹ではなく、世界の中心にあるといわれている雄大な巨木の方。そのとき、妙案が頭をよぎる。
このまま死ぬのならいっそ、木の中に入ってしまおう。
中がどうなっているのかもわからないが、死んだ先の世界もどうなっているかはわからないのだ。どちらもおなじようなものなら痛くない方をえらびたい。木の中に入るなら、痛い思いもしないだろう。
かさかさと、ゆっくりとした速度で近づいてくるゼロを横目で警戒しながら、木の入り口までの距離を確認する。おちついて、片足をついて立ち上がり、ゼロに背をむけて、大木に向かって大地を蹴って走った。
ゼロがおいかけてきているかはわからなかったが、とにかく必死になって走った。これも夢なのだとしたら悪夢だとしか言いようがないが、先ほどまでの理解不能な出来事も、今目の前にゼロがいることも、すべて現実なのかもしれないのだからやるだけ損はないのではないか。夢ならあとで笑えば済む事だが、死んだ後に笑う事ができるかはわからないのだから。
木の入り口が近づいてきて、そのまま扉もない大きな口をくぐるように飛び込む。そのまま体は浮遊して、落ちていった。
しばらく暗い闇の中を落下していたが、下のほうに光がみえてきた。光は近づいてきて、そいつをくぐると世界がひらけた。
俺より遥かに真下に存在するその世界は、外とはまるで違う印象をうける。
石で出来たような建物が大きく上空へ向けて、つまり俺の方にむけて伸びている。人が生活しているということだろうか。外の世界と同じ木造の建物もあるようだが、石の建物に阻まれて多くは確認できない。なにより世界は闇に包まれていて、遠くからではよく見る事が出来ない。外の世界と同じく夜のようだった。
見慣れぬ建物ばかりかと思えば、凹凸のある地域から離れた場所には森もあるようだし、おおきな池も見える。外の世界ほどではないようだが、あの巨大な木の中にあるというだけあって、ここからではすべてを見渡す事は出来ないほど、広かった。
が、今は真下に広がる世界に思いを馳せるよりも心配しなければならないことがある。
死ぬ。
このまま落ちたら、今度は天国に向かってのぼることになるかもしれないということだ。
いっそ悲鳴をあげながら思い切り落ちてしまいたいところだが、口を開くと、はいってくる空気の量の多さで呼吸さえできなくなりそうだった。もうすでに鼻から酸素をとりいれることはできなくなっている。
こんな最後ならゼロに一瞬で殺された方がましだったかもしれない。
真横を石製の建物が通り抜けるのをみてしまった。
もうすぐ地面だ。死んだ。俺は死ぬんだ。
木の中から誰も帰ってこないって、はいったとたんに死んでるからなんじゃないか。こりゃあ生きていられる人間なんていないだろう。
親父は悲しむのだろうか、それとも本当に祝いの準備でもするのだろうか。
ワープできる魔法は、いまだけもう一度つかえないだろうか。結局『しんかんかくゲーム』とはなんだったのだろう。あのヘルメット男は、俺に木の中に入って死ねといっていたのだろうか。なんてやつだ。
死を目前にすると走馬灯が走るというが、思い出せるのは今日の出来事だけだった。どれだけ楽しみも驚きもない人生を送ってきたのだ、俺は。
地面が眼前にきて、少しでもきれいな死に顔でいたいなと思い目を閉じた。体が浮いたような感覚があった。
死んだら、その直前の痛みも感じないのか。知らなかったなあ。このまま天国にでもいくのだろうか。
天国にはなにがあるんだろう、ゲームは…ないだろうな。
天国にのぼる様子でもみようか、することもないのだ、天国に人がいるならば、話の種にはなるかもしれない。
目を開いた。が、俺は天国に昇り始めたりはしていなかった。地面に突っ伏す形で倒れている。みっともなく倒れているのはまったくもってクールではないので、あわててあぐらを組んで座る。人が見ていなかったかと辺りを見渡してみるが、周囲には誰もいなかった。最後に後ろを振り返る。
大きな扉があった。見上げるほどの大きな。扉の一番上を見ようと顔を上げると、上空に黒い穴が見えた。そいつは徐々に小さくなっていって、しばらくしてなくなった。俺はあそこから落ちてきたらしい。
とにかく生きていた。死んでいない。かといってどこにいくかの目星もない。後ろにある扉を開けたら、元の世界にもどれるだろうか。
立ちあがり、振り返って扉に向かう。両手を扉の左右につけておもいきり押したが、動く気配はなかった。
「うごきませんよ。その扉は」
後ろから声がきこえた。少し前に確認したときは誰もいなかったではないか、と不思議に思いながら振り返る。
女の子だった。
珍しい、少なくとも俺は見た事もないような格好をしている。ゲームの中にはいるのかもしれない、と思わせる中心に縦にラインのはいった服を身に着けた女の子。目は海のように碧い。海などゲームでしか見た事はないが。
「ならなぜ扉があるんだ」
女の子と話をするのは、はじめてだった。ドキドキした。
緊張を悟られないように、頭に浮かんだいくつかの返答の中から、最も会話が続きそうな質問をえらんで口にする。
女の子が頭部に着けている髪飾りがふわりとゆれた。彼女が首を傾げたのだ。それから不思議そうに聞き返してくる。
「なら出口はどこだ、とはきかないのですか?」
「出口についてもききたいところだが、なぜこんな馬鹿デカいものがあるのかも気になるんだ」
変な返しをしてしまった。これしかないと思った返答に疑問を投げられて、動揺してしまったのだ。なんだ、その、いろんなものがきになっちゃう、疑問が友達なんだ!みたいな台詞は。
慣れない家の者以外との会話、他人との会話。しかもあいては女の子。ここでの失態も親父のせいだ。
今度は首を傾げるだけでなく、怪訝そうな表情を向けられるのではないかという恥ずかしさにうつむくと、女の子が近づいてくるのがわかった。人の気配もない中で、女の子の足音だけがきこえる。いや、俺の心臓の音もきこえている。
女の子は俺の目の前で止まる事なく、扉の前で足を止めた。俺の隣に立った。うつむいたまま、横目で様子を確認する。女の子は、右手で扉をなでるようにさわっていた。
「この扉はえらばれたひとだけが通る事が出来るのです。通ったひとがいるという話はきいたことがないのですが」
「えらばれたひと…」
それは俺のことか。そういえばあのヘルメット男は結局なんだったのか。俺にこの扉をくぐらせるためによんだというのか。
「はい。やはりあなたはこちらにきたばかりですか?よろしければ色々と説明いたしますが」
こいつはあれだ。ゲームでいう説明キャラだ。あとヘルメット男とつながりがある気がする。
誰も外を出歩かないような時間帯にわざわざ外に出て、木の外から人が来るのを待っていたかのように現れたのだ。髪は白くないみたいだが、あいつの兄妹かもしれない。
「頼む。右も左もわからなくて困っていた。ゆっくり話ができるばしょできかせてほしい」
完璧な返答だった。ちょっとかっこいい感じだ。さりげなく家に案内させるようにつけた『ゆっくり話ができるばしょ』という言葉も相当にクール。これで女の子の家にはいってヘルメット男がいるならば、木の中のこと以外もきけるだろう。
「そうですね。真夏とはいえ、いつまでも夜中に外にでているわけにはいきませんから。どうぞこちらへ」
女の子が歩き出した。少しはなれてついていきながら『神秘的な女の子にえらばれしものとして召還された俺』というシチュエーションを楽しむことにする。説明キャラだと認識してからは、あまり緊張を感じなくなった。『えらばれしもの』である俺がモブにどぎまぎする必要などないのだ、という立場の違いが俺に余裕を与えているのかもしれない。
俺は、えらばれたのだ。なににえらばれて、どうすればいいのかは後でこの女の子が教えてくれるだろう。いまはそれだけがわかっていればいいような、そんな気がしていた。
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